人類とは?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 「人類とは?」などと大きく出たが、たいしたことを言うつもりはない。

 人間はむかしから「知的好奇心」や「欲望」、あるいは「善意」や「利便」を追って「あぁなるといい」「こうなって欲しい」などと考えてきたが、そういうあれこれが年を追うごとにスピードを速め、実現してきた。

 社会主義社会では人間が競争意識を喪うということで、ソ連邦は崩壊したが、アメリカ資本主義は投機主義に走って世界金融の脆さを露呈してみせた。また、一口に「デモクラシー」というが、そのありようは国によって異なるし、一般紙が売れなくなった後など、盗聴まで合法化させて、記事を追った事実があり、「デモクラシー」が人間が到達した最善の社会体制といえるのかどうか疑問がある。

 一方、長年の夢だった自動車も、ロケットも、飛行機も、高層ビルも、高速鉄道も、ワクチン(予防注射)も、テレビも、電話も、インターネットも、水道も、挙げればキリがないほどの分野で、絶えざる事故とともにここまできた。それが人類にとって壮大な、かつ尽きせぬ夢でもあったのに、戦争の道具は殺傷能力を爆発的に強力にし、しかも未だに輸出入の対象になっている。インターネットはハッカーのターゲットになり、悪事はとどまるところを知らぬように連日報道の対象になっている。原子力発電所はあのありさま、抗生物質ができれば自然はそれを凌ぐウィルスを育てて対抗する。自然破壊も人類が地下資源を採取することを知って始まったこと。

 そのうえに、ついこの前に35億だった地球人口が倍の70億に迫っている。この人口爆発に関してはすでに本ブログで再三触れたところだが、人口爆発が人類にもたらす惨状など想像することすら簡単なことであるにも拘わらず、なぜあちこちの機関が貧しい国の人々を助ける運動をしているのか。これは「可哀想」だとか「憐憫」だとかいう以前の、人類全体が立ち向かわざるを得ない重い問題である。

 「人類は自らを死滅させるために存在するのか?

 戦争などという愚にもつかない目的に国の総力を挙げ、むごたらしい地獄図を描いてみせたのもつい最近のことだった。「人類って、いったいどういう目的意識をもって生きていくのだろうか?

 50年後、100年後の世界は住むに耐えるようなところなのだろうか?


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ