水中世界への挑戦「ケース1:富士山麓の陥没湖を測量した経験が遺体の捜索に役立った」(その1)

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 はじめにお断りしておきますが、この著作はかつて出版されたものです。ですが、出版まもなく経営不全に陥り、世に出たとは言い切れず、そういう中から、ケースを取捨選択し、内容の良いものに絞って加筆、修正したものです。

 なお、すべてのケースはそれを体験した人物に直接インタビューを行い、仕上げたものですから、ケースが誰によって語られたかはその都度、明示します。

 

 語り手:静岡県島田市在H氏(作業潜水士)

富士山麓の陥没湖(化石湖)を測量した経験が遺体の捜索に役立った(その1)

 かなり昔のことになる。

 その日、熱海で潜水を楽しみ、島田市の自宅へ帰る途中、その日のダイビングがなにか妙に変だった、というより身が入らなかったことを思い返しては自問していた。ピントのはずれたぼんやりしたものが胸の底にわだかまって、不安とも苛立ちともつかぬ気分が私を包んでいる。

 体調が悪かったわけでもないのに、「今日は魚影が濃くて、被写体に困らなかったな」とダイビングを一緒したY君が同意を求めるのにも、「そのような印象もなくはなかった」といった程度の模糊(もこ)としたものばかりが頭を占め、東名高速を車で揺られ帰途につきながら、虚ろなものがなお頭の裏側にある。

 この日、私が熱海でのダイビングに注意散漫になっていたのは、やはり、あの一件、この三日間、連日にわたって新聞紙上をにぎわせている潜水事故のことが頭から離れなかったからではなかったろうか。事故を告げる新聞の記事が脳裏に消し難くいすわって、思考がそのことばかりに捉われていたというしかない。

 富士五胡の一隅に忍野(おしの)という村がある。後にサリン事件で有名になる地名だが、このときは富士山麓の一隅という以外に適当な表示の仕方がなかった。そこに「忍野八海」(おしのはっかい)と呼ばれる八つの池があり、そのうちの一つ、「湧池」(わくいけ)という小さな池が事故を誘引した現場であった。

 潜水業界ではつとに名の知れたプロカメラマンのKさん(仮名)がアシスタントにライトを持たせたうえで池に入り、底の一部がえぐれたトンネル状の狭い迷路にガイドロープ(命綱)の用意もせずに侵入したあと、池特有の泥煙のために出口を見失い、ついに水面に姿を現さなかったというのが事の顛末である。彼の国内外での水中撮影はしばしばテレビで放映されていたから、私も彼の名前を知っている。

 事故を聞いた仲間のプロダイバーらがただちに現場を訪れ、土地の警察とも協力して捜索隊を組織、連日にわたって遺体を捜したところ、アシスタントの方は苦労することもなく簡単に発見されたが、カメラマンのKさんのほうが三日経っても行方不明のまま、捜索は行き詰っていると報道されていた。

 ところで、富士山の裾野に展開する湖、池、川には歴史的にも地質学的にもいささかのロマンがあることをご存知だろうか。山麓には山中湖、河口湖、精進湖、西湖、本栖湖という五つの湖があることは、それが国立公園であることからも周知のことだが、それらの湖が有史以前、一つの大きな湖だったとは知らぬ人も多いだろう。

 はじめ、古い時代の爆発が富士山麓の北側一帯に巨大湖を誕生させたが、後年に起こった何度かの爆発を経、そのつど大量の溶岩が麓に向かって流れた。ときには湖にまで溶岩が流れ込み、古い溶岩のうえに新しい溶岩が重なりもし、さらには爆発に伴う地震の頻発にもよって湖が徐々に寸断されて幾つかに分かれ、結果的にいま見るような五つの湖に切れ切れに残ったというのだ。

 五つに分断されて存在する湖は忍野八海や地底に隠れて存在する池のみならず、太平洋に流れ込む大小の川を含め、実際にはいまなおそれぞれ互いに地下で連接し、繋がりあって、一大地底湖を形成し、豊富な水源ともなっているのだとは専門家の説くところでもある。自然造形の妙中の妙といえ、こうした湖のことを専門用語で「陥没湖」「とも、「埋没湖」とも、「化石湖」ともいうのだとは、私も後に知った。

 そうした謂れはともかく、カメラマンが行方を断っている湧池にも、一見小さなサイズながら、地下には埋没している部分が広く存在し、だからこそ、「八海」などという大仰な名前がついているのだという気もしなくはない。

 水が豊富に湧いて出れば、池は澄明このうえなく、水中には魚が泳ぎ、池の一部がトンネル状になって口を開けている図を見れば、プロカメラマンとしては冒険欲というより撮影のための潜水欲にかられたであろう。カメラマンであるがゆえに美しいものへの憧憬と、ひょっとしたら美しすぎる水ゆえの油断があったのでなかろうか。プロ中のプロといわれる手練(てだ)れのダイバーが気の緩みなくして死に至るような潜水を行なう可能性は考えられないからである。

 遺体の捜索が円滑に進まずにいるという新聞報道には、実は私にも納得するものがあり、そればかりか事故を招いた原因、捜索への手立て、遺体の在り場所への推測もあって、だからこそそのことが脳裏にこびりつき、結果として熱海でのダイビングに身が入らなかったといえなくもない。

 では、なぜ私がこの一件に格別な思い入れを持つかといえば、それは二人のプロを死に至らしめた問題の池に特別の執心を持たせるそもそもの因縁が私自身にあるからで、話を進める前に、まずそのことを説明しよう。

 話はこのときから三年前に遡る。

 富士五湖をドライブして、ついでに前々から名前だけは知っていた忍野八海を訪れた。幾つかの池には清冽な水が地下から絶えることなくこんこんと湧き出ており、それも毎秒何トンという量だとはかねてから聞いていた。その水のありよう、池のありよう、周辺の景色など、この目でじかに見てみたかった。

 村に入ると、車の窓からコスモスの花が一面を覆い、こうした景色の好きな私はしばらくはコスモスの群生に見惚れ、車を止めてはカメラのシャッターを押した。やがて忍野八海という看板が目に入り、車を降りると、すぐ近くに直径十二メートルほどの円形の池があり、「湧池」との表示がある。これが音に聞く八海の一つかと凝視すると、折からの陽光を浴びてきらめく水面下に藻のようなものが一面に繁茂して揺れ、限りなく透明な水中に黒い影がうごめいている。それが淡水魚であることはすぐ知れたが、稚魚を含め大小が入り乱れつつ藻のなかを泳いでいる様は絢爛きわまりなく、目をくらませるほどの小世界に映った。もっとも、水というものに人一倍の憧憬心をもち不思議を感ずる私ゆえの感動であったかも知れない。

 聞くと、魚はブラウンバスという種類で、大きなものは体長一メートルを超えるものも棲息するという。「水清ければ魚棲まず」「という格言が必ずしも真実を伝えていないこともあわせ認識する機会になった。

 池の底からは名前の通り、ひっきりなしに地下水が湧き出ているらしく、水はあくまでも澄みきり、それが水草を揺らす光景も、ぞくぞくするほどの清らかさであり、美しさである。

 池の片側が浅く、水深は五〇センチくらい、そこから反対側に向かって全体がなだらかに傾斜、四メートルちょっとの水深まで落ち、落ち際がくぼみをつくって黒ずんでいる。看板にある説明によると、その部分から地下に穴が存在するらしいが覗き込んでみてもくぼみの部分から先には光が届かず、内部は視認できなかった。

 ここでブラウンバスの遊泳を水草を背景に撮影したいものだと思ったのは水中カメラを手にする者にならだれにもある絵心だったろう。私は深い考えもなく、近くの土産店に足を踏み入れ、そこのおばさんに潜水の可能性をそれとなく尋ねてみた。

 「とんでもないよ。ここはね、お役所が管理しているから、許可がないと入れないの。どうしてもっていうんなら、村の役場に行って相談してみたらいい」

 おばさんの言葉に、このとき水中カメラを持参していたわけではなかったから、とりあえずあきらめることにし、近くにあった「底抜け池」を見、役場には行かずに帰途についた。

 とはいえ、この日を起点に、忍野八海への思いはつのるばかりで、なんとか湧池に入れないかと思いつつも、結局、この地を再び訪れたのは一年後であった。

 このときは真っ直ぐ村役場に車を乗りつけ、

「湧池のことでお願いがあってきたんですけど」

と案内を請うと、頭髪の薄くなった年配の人が出てきて、私をオフィスのなかにいざなった。

「私がこの村の村長です。ご用件をお聞きしましょう」

「湧池に入らせてもらえないでしょうか」

 私は名前を言ったあと、単刀直入に希望を告げた。

「どういう目的で?」

「じつは、わたしはプロのダイバーなんですが、あの池の水草と魚を写真に撮りたいんです。時間もたいしてかかりませんし、内部を破損してしまうこともありえません。多分、十分くらいですむんですが」

「そういう要請を受けたのは初めてだな。まず、その筋のほうへお伺いをたてないといけないよ」

「その筋って?」

「環境庁ですよ。このあたりは環境庁の管轄ですから」

「本栖湖なんか、ダイバーが入ってるのをよく見かけまけど、ここの池はややこしいんですね」

「忍野八海は文化財に指定されているからね」

 村長の口吻にはそのことが自慢だという響きがある。

「で、あなた、どうしても入ってみたいの?」

「はい、どうしても。ダメですか」

 私は力んでそういい、初老の人を見つめた。

「だったら、申請してみて、許可が下りたら連絡しますから、とにかく、この紙に、あなたの名前と連絡先を書いてくださいな」

 経緯はともかく、このとき応対してくれたのが後々まで交際の続く天野さんであった。

 それから一週間ほどが経ったとき、村長みずから電話をくれ、

「許可が下りたから、いつでもいらっしゃい。で、じつはね、お願いがあるんですよ」

 と、ちょっと口ごもっている。

「いやね、どうせあそこに入るのなら、せっかくの機会でもあるし、あの奥にある、トンネルのなかがどうなっているのか調べてもらえないだろうか。むずかしかったら、べつにいいんだけど」

「いいですよ、やってみましょう。水中の測量の経験もありますし。で、これまでにですね、あのなかに入ったことのある人はいるんですか」

 僅かにでもトンネル内部に関する予備知識が欲しいとの思いで、そう尋ねると、

「いや、だれもいません。だから、こうして、あなたにお願いしてるんですから」

という。

 そうか、あそこは未知の世界なんだ。人跡未踏の水中空間なんだ。そう思うと、なにやら胸の奥から込み上げてくるものがある。この閉所への潜水が安直なものであるはずはないという認識はあるものの、かといって臆する気は毛ほどもなく、天野村長の申し出はみしろ稀な機会を与えてくれているのだと心は弾んでくるのだった。正直いって、私は冒険と名のつくことは根っから好きな性質なのだ。

 電話を切ったあと、私の脳裏にあの湧池の一隅に存在する黒ずんだ窪みがあらためてといったふうに浮かんでくる。それは地下に存在する水空間のなかに唯一侵入可能なゲートである。

 同じ年の九月、初秋の風がさやさやと吹く日、私は測量のための器具はもとより撮影のための機材やロープを含め、準備万端を整え、たた一人、昂ぶる胸のうちを抑え抑え、忍野八海に乗り込んだ。役場に赴き、村長に挨拶して、現場である湧池のほとりに車を止めたのが午前十時である。

 今でこそ、週末や祝日ともなれば、この地も観光目的の客で溢れかえるが、そういう感じは一切なく、ひなびた田舎そのもののムードが拡がり、春秋の行楽シーズンでも絵描きや写真家の姿がほんの僅かに散見される程度、閑散としたものだった。だから、見慣れぬダイバーの姿を見てなにごとかと池に寄ってきた人はみな村人ばかり、それも村長を入れて三、四人だった。

 池の露出している部分での、私がここを潜る目的である撮影は村長に言ったように十分か十五分もあれば足りるが、地下に隠れている未だ知られざる部分の調査となれば、内部のありよう次第でどのくらい時間がかかるか知れない。

 スチールカメラにストロボを装着して、それをまず藻の密集する水中に落とした。そして、使い古してくたびれた五ミリ厚のウエットスーツを着込み、ウエイトベルトに命綱となる五十メートルのガイドロープをくくって、さいごに測量用のケーブルを池のなかに放り込んだ。

 用意したタンクはダイバーが一般的に使うタイプのもので、十四リッター容量にニ百キロのエアを充填したものである。

 池の淵に腰を下ろし、足を水に入れ、そろそろと体を滑らせつつ水のなかに入ると、その瞬間、冷んやりした水が体を包み、それと同時に池独特の水くさいものが鼻をつく。私はスチールカメラをとり、陽光の下で透明度を増している水中を注視しながらアングルを追った。池での撮影を終えるや、カメラとストロボは池の淵に揚げた。

 縦に七十センチ、横に一・八メートルほどにえぐれたトンネルのゲートの真上に体を移し、ハローゲンの強力なライトを向けて覗き込むと、透き通った水のなかにチューブのような細い穴が斜め下方にうがたれている。水の透明度は良好で、これならなんとかやれるだろうという自信が胸に盛り上がった。それでも、「もしや」という気持ちもあったのか、体を穴に入れる前、なんとはなしに入り口の壁に手をもっていくと、壁の一部がどさっと文字どおり音もなく崩れ落ち、土が飛び散って水に溶け、あたりを濁らせた。それは砂というより泥そのものであり、池からどこへ繋がっているのかわらぬトンネル内部にしても、密閉された空間だということに加え、底であれ、壁であれ、天井であれ、触れれば落ちるという脆(もろ)さと危うさに満ちていることが想像された。一瞬、身震いのようなものを感じはしたが、私はそれを振り払うようにして内部に体を入れていった。

 人間が二人とは同時に通過できない、まさにチューブさながらの穴が続き、腹這う格好で体を擦るようにして前進する。ライトの照らし出す方向はどこまでも透けてまっさらな世界、降り立ったところで水深計を見ると、七メートルだった。

 気づくと、その部分から急に水空間が広くなっていて、池で見たブラウンバスが数尾、まるで行く手を教えるかのように泳いでいく。魚たちが普段、我々人間には全く見えない暗闇の水空間を迷うことなく自由に往来していることは疑いようのない事実だった。

 ブラウンバスを見たことでほっとしたものを感じたが、ふと後方の、自分自身が通ってきたところを振り返ってぎょっとした。泥がもうもうたる煙となり、視界すべてを闇に変えて、帰還への道を遮断している。池の水面に降り注いでいるはずの陽の光もむろん視認できない。

 それにしても、まだ踏みこんでいない前方はこのうえなく清澄で、透き通っているのに、通過してきた穴ぐらのなんとおぞましく恐ろしく見えることか。そこでは携帯しているゲージも、コンパスも、ライトを直接当ててさえほとんど見えないという状態だった。一人のダイバーが腹をこすりつつようやく通過できるトンネルである。泥煙をあげずに侵入することは不可能なのだ。

 とにかく、はじめに捉えた拡がりをファーストステージと命名し、その空間をまず調査しようと底から体を離し、太刀魚のように頭を下げ脚を上げて中世浮力をとった。天井の水深が四・八メートル、底の水深が七メートル、上下の最大空間がニ・ニメートル、ちょうどセンベイを真ん中だけふくらませた形だから、体を斜めにもっていき注意深くフィンを蹴らないと、どこかに触れてしまい、視界はゼロになる。

 底には一見ゴロタ石に見える塊が幾つもころがっているが、どれも泥が凝固したもので、さわれば崩れてただの泥と化す。それが判るから、私も慎重に動いてはいたのだが、呼吸を止めてしまうわけにはいかず、排気するエアが気泡となって上昇するから、天井からひっきりなしに泥が落ちてくるのは防ぎようがなかった。ふらふらと舞い落ちてくる泥がライトの光芒のなかできらめくと、さながら雪の舞いのようにも映った。

 水空間の一部に再びチューブ状のえぐれが存在する。ためらったのは一瞬のことで、体を進めてみると、少し拡がった箇所があって、すぐ行き止まり、奥行きは十二メートルであった。

 すでに泥が舞い上がって何も見えない穴をやみくもにファーストステージまで戻り、上下左右を点検すると、天井に近いところに三箇所えぐれを発見したが、いずれも泥が崩れて半ば閉じられた空間であり、奥行きを調べるまでもなかった。

 壁伝いに動いていくと、一尾のブラウンバスがとある穴へ迷いもせずに入っていく、。ファーストステージでの測量をやめにして、つられるように追ってみると、再び広い場所に出た。セカンド・ステージと命名した空間である。広いといっても、ここもチューブの一部がふくれた程度で、立てば、頭がつかえるほどの狭い拡がりだ。

 数尾のバスがどんどん奥に向かって泳いでいるのが異様に思われたが、かねていわれているように、地底の水の世界を魚たちは知っていて、トンネルを通じてほかの池にも、あるいは湖にも往き来しているのではなかろうかという憶測がほとんど確信になった。暗闇を移動できる、なんらかのセンサーをかれらはもっているのだろう。

 拡がりの天井部分は、ここも山を潰したような形で、最も深いところで水深は七・四メートルだから、縦に一・六メートル持ち上がっている中心部分だけが多少の余裕を感じさせるだけで、閉塞感は依然として強い。

 底はほぼ平坦であったが、奥まったろころに鉄製のパイプという、この場に似つかわしくない物体を発見した。それは地上から地面を突きぬけ、水の部分からさらに下の地中へと貫いて、見えている部分はほんの三十五センチであった。観察するうち、それが飲料用の取水のために掘って埋められた井戸パイプだということに気づいた。

 この土地では、どの井戸からも良質のミネラルが確保できるのだとは村長からも聞いていて、そのことをパイプの存在が明瞭に物語ってはいたが、こうした地底の池のうえに建築物が存在することには一抹の危惧を覚えないわけにはいかなかった。池の近くに住居をもつ人から、小さな人工の池を庭に掘っていたら底が抜けてしまい、水が吹き上がったという話を聞いていたからだ。

 一回目の調査はやはり全貌を見極めるほうが先だとの判断で、セカンドステージの測量もあえてせずに、そのまま進むと、ブラウンバスがここでも私を先導して泳いでいく。なかには一メートルどころか二メートルに近い大物もいて、側面からよく見ると、鮭そっくりの口をむんずと誇示している。追っていくと、奥にまたトンネルがあり、抜け出ると、またもや一つの拡がりが存在した。このサードステージでは、底のほうから水が盛んに湧き出ている。

 ざっと見てまわると、壁に幾つもの穴が口を開け、枝分れしたり、落ち込んだり、複雑な様相を呈している。ロープを持って入らなければ、この迷路からの脱出はむずかしいなと思いつつ、これらのトンネルがほかの池にも湖にも通じている可能性はいよいよ強いという印象を持った。このあと大きめの穴を選んで体を入れたとたん、体が止まり、ガイドロープが一杯になったことを知った。ここまで、ちょうど五十メートルの距離である。

 水路への侵入をスタートしてはじめてエアの残圧計をチェックすると、スムーズに帰還してちょうどというエア残量、はっとしながらロープ沿いに身を翻したのはいうまでもない。閉所でエア切れとなっては、浮上して大気の覆う空間への移動は不可能であり、死は火を見るより明らかだったからだ。

 通過してきたチューブの泥はいったんは湧き上がって視界を閉ざしても、五分も待てばゆるやかに沈殿し、行く手が見えてくることが帰路を急ぎつつわかってきた。むろん、エアの残量に余裕があればのことだが、万一のことが起こった場合、つまりロープなどの携帯をせずに脱出口が判らなくなったとき、五分待てるかどうかが場合によっては生死の岐れ目になるかも知れないと思った。もっとも、泥の沈殿を待つことができたにせよ、脱出への道順が判らなければ生還は覚束ない。また、たとえ道順が判ると仮定しても、閉ざされた空間で五分ものあいだ泥がおさまるのを待つというのは並の神経ではできない相談だ。

 ガイドロープを用意している私にはそうした恐れもなく、また視界の悪さに辟易するような神経もないまま、サードステージからセカンドステージへ、セカンドステージからファーストステージへと難渋することなく帰ってきた。湧池に直接繋がっている最後のトンネルに体を入れて腹這いつつ、斜め上方を仰ぐと、湧池から落ちてくる明るみが認められ、それがあたかも夜中に満月を見るような印象で、思わず立ちすくみ、しばらく見惚れた。

 浮上し、池の淵に上がると、

「どうでした」

 と、村長が待ってましたとばかりに訊いてきた。

 村長には内部について簡単に説明をしたが、この日数回は潜る予定でいたので、詳しくは何日か後に紙に図を描き、口頭でも説明することを約束した。

 この地下水路が浅いことが判明したので、一日に五、六本潜っても、潜水病にかかることはないという判断があった。

(その2)に続く


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