水中世界への挑戦「ケース10:がらくたで埋まる古井戸に物証を追って三十メートル」(その1)

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 語り手:沖縄県那覇市在T氏

がらくたで埋まる古井戸に物証を追って三十メートル(その1)

 水中処分隊の訓練のなかに、ネオプレーンをマスクに貼り付け、まったく見えない状態で捜索するという特殊な訓練がある。

 むろん、狭い範囲の捜索しかできないが、水面から投げ込まれた物体を探せとの指示を受けると、ネオプレーンをつけたマスクを装着し、ナイフとロープだけを頼りにエントリー、潜降する。水深は場所により深いところもあるし浅いところもあるが、いずれにも共通した目的は透視度、透明度ともに劣悪な環境での捜索を想定している点である。

 そうした訓練は海上自衛隊だけでなく、海上保安庁の特殊救難隊でも、やっている。

 降下した地点で、むろん手探りだが、ロープの端にナイフを突き刺し、海底の一箇所に固定する。そうしたうえで、もう片方のロープの端を持ち、盲目同然の状態ながら円形に動く。円内に物体が存在すれば、ロープが引っかかるから、その地点に止まって、ロープに沿い、手探りで固定した方向に移動する。ロープを引っかけた原因を調べるためだが、それが岩や石の突起なら外して円形移動を続け、目的物であれば、抱えて引き揚げる。

 ぐるっと一周して目的のものがなければ、ロープの長さの二倍移動して、ふたたび同じことをくりかえすという訓練だが、これをやってて、水中用手袋を装着していてさえ、なんども指や手をウニのトゲに刺してしまったか知れない。

 同じ方法で対象物を探すのでなく、地形のチェックをすることもある。手に振れたものの形状を頭にインプットし、あとで図面に描いてみせるのだ。これを「海底マッピング」といい、軍事機密のなかに入る部類のものもあり、重要と認められれば、外部に公表されることはない。

 こうした訓練を昼、夜を選ばずにくりかえしやらされるから、普通のダイバーはむろんのこと、その道のプロですら、とても潜れないようなところにも入ってくれと外部から頼まれることがあるし、現実にやらされた。

 横須賀のオフィスに常勤していたころ、群馬県まで出かけたことがあるが、それもそういう要請に応えたものであった。海上自衛隊で訓練されたダイバーはどんなレスキューでもやるし、どんなに劣悪な水中環境下でも潜水を敢行するという、一種の神話が流布していたのかも知れない。

 ある日、上司が私と同僚の木下(仮名)の二人に、

「潜水の容易をして同行しろ。そうだ、ロープ忘れるな」

と言ったのは前の晩だった。

 当日、私が車を運転し、横浜から東京を貫き、埼玉県を抜けてひた走った。やがて、田園がひろがり、畑仕事をしている農夫の方々が視野に入り、ひなびた景色に一変した。

 上司は車が走っているあいだ、仕事の内容について一切口にせず、渋い顔をしたまま外の景色に目をやっている。

 「井戸を潜ることになる」

 群馬県に入ってしばらく経ったとき、上司がそう言った。

「井戸ですか?」

「古井戸らしい。刃物を探してくれって頼まれている」

 上司はそれだけ言うと、また口を閉じ、黙ってしまった。

 これは警察からの依頼だな。犯罪に使われた凶器だろう。犯人が使ったナイフか訪朝のたぐいを古井戸に投げこんだと供述したため、物証がほしいんじゃないかーー。

 そう勝手に推量したが、口には出さなかった。仕事をするとき、立ち入ったことを詮索するのはご法度であり、尋ねたところで、怒鳴られるのが落ちなのである。

 警察にも機動隊に「レスキュー隊」という部署が確立され、潜水という手段を使って探索もするし、文字どおりレスキューも行なう。現に、全国で警察機動隊や消防署隊員が救助の現場に立会い、実績としてもかなりの成果をあげている。

 この本の著者の知人などはこの部署ができたばかりの数年間に、琵琶湖を舞台に六十体以上の死体を揚げた実績を持っている。そういうプロの中のプロでさえ、古井戸への潜水と聞いて、さすがに尻込みし、オハチが海上自衛隊のほうに回っていたように思われた。

 車が最初に止まったのは群馬県県警本部の前だった。上司は「おまえらはこのまま待っていろ」と言い残し、県警の建物のなかに入っていった。五分ほどもすると、上司が雌伏姿の髪の禿げた中年の男と肩をならべて戻ってきた。

「刑事だ」と自己紹介した男は私の隣に尻を置くと、

「あそこを右に曲がって、まっすぐ・・」

と方向を指示。

 民家が散在する田舎の道路を走って現場に到着すると、刑事はわれわれを人の住んでいない家屋の裏側に案内した。おそろしく古い、もちろん今は使われていない井戸が、そこに在って、黄色い仕切りテープに囲まれていた。覗くと、水面は苔の生えたような緑色をし、水が明らかに腐って、それが鼻をさす。「透明度」などという言葉で表現できる状態ではむろんない。

 「どっちが先に入る?」

 上司が私と木下を見た。

「わたしが先に入ります」

 私はそう答えながら、あらためて井戸を覗き、刑事を振り返って、

「井戸の深さはわかりますか」

 と訊いた。

「いや、わからないな」

「わからないって? じゃ、機動隊のレスキュー隊員はだれも入っていないんですか」

「こんなところ、うちの隊員じゃ無理なんだ。同じ隊員でも、ほかではどうか知らないが、群馬では難しすぎる」

「じゃ、なかがどうなっているのかも、わからんのでしょうな」

「わかるわけないだろ。そういう事情だから、あんたがたに頼んだんだ。しかし、この井戸をつくって人はもうこの世になくて、家にもだれも住んでないし・・・。とはいっても、なかにがらくたが入ってるだろうことは想像できるがな」

 刑事はこちらの質問に対し的確な対応ができないことに苛立っている様子で、顔をしかめている。私も愚問だったことに気づいた。

 こうした特殊なところへの潜水ではBCD(浮力器)などは使わない。いや、使えないといったほうが正しい。むろん、オクトパス(予備の呼吸器)や残圧計(エア残量を示す計器)など、水中の投棄物に引っかかりそうな器具も身につけては潜れない。腕に時計と水深計さえあれば、経験則で、自分のエア消費は測れる。隊員は例外なくそのように訓練されている。内部に何が存在するか予めわからないという潜水では、よけいな器具は動きを妨げるだけでなく、水中で思わぬ拘束状態を現出しかねず、命がけのことになりかねないからだ。

(その2)に続く


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