水中世界への挑戦「ケース4:隠しポイントで潜水後、漂流の憂き目のうえ七匹のサメに追尾された恐怖」(その2) 

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 語り手:沖縄県那覇市在T氏(猟師/インストラクター)

隠しポイントで潜水後、漂流の憂き目のうえ七匹のサメに追尾された恐怖(その2)

 チキショー、こいつ人をバカにしている。今度こそ突いてやる。

 私は岩棚から離れ、少し水深を下げて岩陰に身を置いた。と、肥えた体躯が私の後方からどーっと出現、頭上を通過し、目線の先に逃げてゆく。私の背後にわざわざ回りこむなり、「おまえの居場所は知っているぞ」といわんばかりの所作に、私は歯噛みした。

 いったん沖合いに向かったカンパチは反転すると、私に向き直り一直線に進んでくる。こんどこそという意識が気持ちを高ぶらせたというしかない。慌てて引き金を引いたため、発射されたシャフトはターゲットに届かなかったばかりか、はるか手前で頭を下げ、力なく海中に落ちていく。シャフトについた紐を引き寄せながら、情けなさが胸にあふれる。

 目前をなお往ったり来たりするカンパチを見ながら、翻弄されている自分を意識した。かっとした私はふたたびカンパチを追っていた。水深が浅かったためか、銀輪が海中に差し込む陽光を反射して光るのが戦闘機の飛翔を想起させる。カンパチはそこから深みへ深みへと、さながら私をいざなうかのように移動していく。

 私がスピードをあげればあげるほど、カンパチもスピードをあげ、どんどん深みへ泳いでいく。なんど耳抜きに追われたか知れない。気づいたとき、なんと五十メートルを超える深度にいた。こんな深みにいたら、タンクのエアの消費が増えるばかりで、エアはあっというまになくなってしまう。気体は気圧の高まりに応じて縮んでしまうのだ。

 もうカンパチどころではなかった。時計をチェックすると、木村に落としてもらってから既に十五分が経っている。

 そのとき、水中に浮く私の眼下に動くものがあった。岩そのものが動いたような気もし、ふたたび水深を下げていったのはハンターのもつ狩猟本能という名の業というしかない。

 用心深く、フィンの音を忍ばせて近づいた。ふたたび岩が動く気配があり、ぎょっとして見つめた。それは、ハタの一種、地方により「クエ」とも「モロコ」とも呼ばれる魚だった。一見して、五十キロを超える巨体は貫禄にあふれ、への字に結ばれた大きな口は威厳に満ちている。

 一発で仕留められるかどうかーーー。

 不安が胸に盛り上がった。まえに二十五キロほどのハタを突いたことがあるが、それでも取り込むのに苦労したのを憶えている。これだけのハタをもし急所をはずしてシャフトを打ち込んだら、暴れるだろう。暴れなくとも、深みへ走るのは目に見えている。スピアガンごともっていかれる可能性だってある。

 なに、カンパチやヒラマサと違って、ハタは所詮根魚だ。走られたとしたって、たかが知れている。それより、この機会を逃したら、これほどの大物に出遭うことはもうないぞ。なにがなんでも射て、射つんだーー。そういう声が私を急きたてた。

 私は肺いっぱいにエアを吸い込み、そのまま呼吸を止めた。狩猟にエアの排気は禁物なのだ。

 「音もなくアプローチした」といいたいところだが、サカナは物体の動きを「水中圧力波」としてキャッチしてしまう。水中の伝道速度は空気中の何倍にもおよぶから、私がどう遠慮深く、気を使って動いても、相手は逸早くこちらの存在も動きも察知してしまうはずである。事実、そのハタは私の思惑など承知しているとばかりに、私との距離をあけ、数メートル泳いで振り返った。その様がいかにも憎らしい。

 「よし、それなら」という気になって、もういちど息を止め、スピアガンをまっすぐ突き出して接近をはかった。ハタは鈍重に見える巨体を機敏にゆすって海底すれすれにさーっと移動するなり、また岩の突起にとどまって私を振り返って見る。まるで鬼ごっこのような状態、愚弄されているような錯覚に陥り、無性に腹が立ってきた。カンパチといい、ハタといい、今日はからかわかれてばかりいる。

 こうして私とハタとの鬼ごっこが続いた。動いては止まり、止まっては動くのをくりかえすうち、ハタは唐突に海底の一隅に現れた大きな岩の亀裂に侵入し、姿を消した。なかに入って追おうと思ったとき、潮流に変化を感じた。

 水深は五十五メートル、潮が動きだし、と同時に呼吸抵抗を感じた。心ならずも深みでの潜水を継続したこと、カンパチとハタの出現に興奮し、動きすぎたことのニつが原因となって、エアを思っていた以上に使いすぎてしまい、危うく切れかかっていた。私は迷うことなく、はるかな水面に向かって直上浮上に移った。

 本来なら、減圧症にかからぬために一定の水深で体を止め、一定の時間を過ごさなければならなかったが、それをやるためのエアは残っていなかった。減圧症のリスクを甘んじて受け容れざるを得ないと自覚しつつ、海面をめざすうち、体が速度を増した潮流に押され、横へ横へと流されはじめた。

 何度も入っている海だが、これほど強い潮ははじめての経験である。

 海面に出てはっきり諒解したことは潮流がニノット以上もあり、とても逆らっては動けないことだった。しかも、潜水を開始してまだ二十分しか経過していず、木村の洋上看視を頼みにできなかった。木村のピックアップに依存したこれまでのダイビングでは、どんなに早くエグジットしても、三十五分は水中にいたからだ。


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