水中世界への挑戦「ケース2:元旦に首のない死体と上半身のない死体を揚げる」

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 語り手:北海道室蘭市在住N氏(作業潜水士/インストラクター)

元旦に首のない死体と上半身のない死体を揚げる

 歳の暮れが目と鼻の先に迫った、十二月三十日のことだった。

 この日も、海の調査を目的に仲間のダイバー四人を同行して防波堤の沖にいた。

 場所が港湾内のことだから、海底はだいたいがヘドロ状なのだが、「貯木場」という木材を貯めておくエリアだったことで、そこだけは砂地が続き、そこそこの海であることは前々から知っている。

 透明度五メートルほどの砂地のところどころにゴロタ石がころがるという相変わらずの海に、バフンウニもナマコも多棲し、思わず舌なめずりをしながら動いていたときである。私の目に白い物体がいきなり飛び込んできた。

 車だーーー。

 私はそう直感し、接近していった。フジツボのつき具合から、車はニ、三年は放擲されていると思われた。

 白塗りの車であることは判別できたものの、車種まではわからなかった。私は」ゆっくりフィンを蹴って運転席に近づき、中をのぞきこんだ。濁りがあって、はじめ暗い内部はよく見えなかった。ウインドーガラスは半分ほど開いている。顔を近づけたとたん、呼吸が止まるほど驚いた。

 そこにYシャツがあり、ネクタイがしめられ、肩にはシートベルトがかけられてあるのに、顔がなかった。Yシャツの襟に囲まれた真ん中をよく見ると、骨が突起状に露出している。それは、まぎれもなく、人間の頚骨であり、首のない男性死体であった。

 暗さに慣れた目に、腹部が映り、ズボンをはいた脚が映った。同行者も瞳孔を大きく開き、それでも怖いもの見たさで、私の脇から必死の形相で内部を覗き込んでいる。

 水に浸かってニ、三年もすれば、柔らかくなった体がシートベルトで切られてしまい、なにかのはずみで首がもげてしまったのではないかと想像したが、確信はない。

 私は「ひょっとして」と思い、隣の席に目をやったが、座席には背もたれが見えるだけで、だれもいないような気がした。「待てよ」と思った私は車をボンネット超しに廻りこんで、ここも半分開いたままのウィンドーから助手席に顔を近づけてみた。

 「げぇー」

 ほとんど獣のような声をあげかかったほど衝撃的な光景だった。スカートを着けた腰から脚の部分だけが、そこにあったからだ。

 「かも知れない」

 私はある種の勘に導かれるように、恐る恐る後部座席に接近していった。

 「うわぁー」

 ふたたび叫び声をあげるしかないほどの光景がそこにあった。両眼を大きく見開い女の首が座席の上にころがっていた。確証はない。それはまるで一個の物体と化して、そこにあったのだ。

 もう一度、五人で社内の様子をゆっくりチェックしてみたが、欠損している女の上半身を車内に確かめることはできなかったし、男の顔の部分も発見できなかった。

 運転者が意図的に解放したと思われるウィンドーガラスから小さな生物が車の中に侵入して、女の上半身を食べてしまったのかも知れないとは思ったが、それならなぜほかの部分だけは食べられずに残っているのか、この疑問にこたえてくれそうな傍証の類も一切ないように思われた。二人は心中するために、ここに車ごと飛び込んで、そのとき海水が車内に流入するよう意図したという見方も常識的だが、憶測に過ぎない。

 エグジット後に、急遽連絡した海上保安部の調べでは、死体は三年前に行方不明になっている男女であろうとのことだった。当事者は二人とも互いに家庭をもっており、心中は不倫の意図的な清算だと推測された。

 その日から二日後、一月の元旦に、遺体を車ごとクレーンで吊り上げることになった。正月早々だというのに、話を聞き伝えた人々が岸壁に群がってくる。それを見た私はクレーンで吊り上げる前に、衆目にさらされぬよう海底の車にシートをかけたほうがよいと海上保安部の係員に提案した。係員が納得すると、同行潜水していた四人に声をかけ、再び貯木場に入り、車から目をそむけるようにしてシートを上部から側面にかけ、浮上するなりクレーンのオペレーターに合図した。車は海水を大量に流しながら、岸壁に吊り上がった。予想していた通り、腐臭があたりを覆った。

 元旦早々、新年の初潜りが遺体の引き揚げである。こうしたいやな仕事をいやだと言っては、私たちの仕事は成り立たない。これは自分の背負う一種の業だと観念もしている。

 ところで、引き揚げた女性の上半身が欠落していたこと、男の首が切断されたようになっていたこと、このニつは海上保安部や警察の調べでも理由が解らず、謎のままとなっている。


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