水中世界への挑戦「ケース7:ダム湖での遺体探しに失敗、猟師が奇想天外な手法で成功」(その1)

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 語り手:静岡県静岡市在K氏

ダム湖での遺体探しに失敗、猟師が奇想天外な手法で成功(その1)

警察機動隊のレスキュー班から電話連絡があって、

「ダムを潜ってくれないか」

という依頼とも懇請ともつかない話がもちこんできたのは、かねて顔馴染みのレスキュー班に所属する古川(仮名)だった。

「依頼とも懇請とも」などと、いささか勿体ぶった言い方をしたのには理由がある。警察機動隊には、二十五年以上むかしならいざ知らず、レスキューを専門に行なうセクションがすでに存在しており、民間の力を借りず、海でも、沼でも、川でも、自力で潜って捜索する能力があることを知っていたからだ。「捜索や探索を目的に潜って欲しい」という要請が頻繁にあったのは昔日のことなのである。それで、

「なんで、いまさら、うちなんかに?」

という、幾分礼を失した応接となった。ここで「うち」といったのは作業潜水とレジャーダイビングの双方を業容とする、私がついニ年ほどまえまでお世話になっていた会社のことで、以前は確かにこの種の捜索をひっきりなしに依頼されたものであるし、受ける側のプロもそれが当然だという暗黙の諒解がある。

「いや、潜ってはみたんだが、手に負えないんだ」

「機動隊の手に負えないことを、うちにやれっていうの?」

彼らの捜索目的が人間の遺体にあることは、もう察しがついている。

「そういうな。頼むから潜ってみてくれよ」

すげない対応とは裏腹に私の胸にはちょっとした興奮があり、機動隊が要請してきたことに対しての矜持もあった。

「それじゃ、やってみましょうか」

「そうか、やってくれるか。それで、明日すぐ行ってくれるな」

古川はせっつくように言う。

「ダムっていいましたよね。いったいどこにあるんですか」

「畑薙(はたなぎ)ダムだよ」

「あんな山ン中で」

ダムのある場所は静岡市の北端だった。むかしは市内にすら入っていなかった山深いところで、長野県との県境に近い。「あんなところに人間が落ちるなんて、どういう理由があったのだろうか」と思ったが、それについてはあえて口にしなかった。

「おれたちも同行する。明日、朝早いが、迎えにいくから用意して待っていてくれ」

古川は最後にそれだけいうと、電話を切った。声音に安堵したものが感じられ、そのことに悪い気はしなかった。

私は「透視度も同明度も悪いダムのなかで人間の死体を捜す」という特殊な潜水を想定したうえで同僚の町田(仮名)をバディに選び、その夜は綿密に相談した。町田とはこの種の潜水を過去にも共有しており、信頼のおける相棒だった。

ここで言葉の説明をする。「透視度」とは水中の縦の視野をいい、「透明度」とは水中全体の視野の明るさをいう。伊豆半島周辺なら、水深二十メートルまで海面から見えたら、透視度はまずまずとの判断があるが、沖縄なら水深五十メートルを超えてみえるポイントは幾らでも存在する。また、「バディ」というのは、もともとは米軍海兵隊が考え出したペア・システムである。戦時における兵士は常に二人が一組となって動けというもので、一人に何か不都合が起こった場合にはもう一人が助けるという、ペアによる相互補助が想定されている。潜水の世界では陸上とは異なる危険があり、一人で潜水することを諌め、潜水は二人がペアになって行なうことを規則の第一としたものである。

翌朝は太陽がまぶしいくらいの光を降らせていた。

待っていると、やがて機動隊の車が十人ものレスキュー隊員を乗せてやってきた。古川は車から降りてくると、

「今回の捜索は自分がチーフだから」と断わり、「じつは」と話し始めた。

「正直にいうが、現場のダムってのはひでぇところだ。かなり無茶な潜水捜索もやってきたが、あのダムだけは歯がたたなかった。怖いなんてなものじゃないよ。ほんと、どうにもならなかった」

「だったら、おれたちにだって歯がたつかどうか」

私の言葉に謙遜とともに自負の響きがあったことは否めない。

「いや、いろんな捜索経験をしてきたあんただったら、できるかも知れない。われわれとは違う手法を考えつくかも知れない。そう思ったから、身を屈して頼んだんだ。今日は、なんとしても遺体を揚げたい」

「どうして、ダムに人が落ちることになったのか、説明してくれませんか」

「あぇ、そのことまだ話してなかったな。四日前だった。高校生が学校の二階の窓から落ちて怪我をしたんだ」

「それなら知ってますよ。新聞に出てましたから。だけど、その事故とダムでの捜索とどう関係するの?」

「ま、話を聞けよ。その高校生が救急車で病院に運ばれたあと、父親に連絡をとった。その父親が畑薙ダムの近くにある建築現場で働いていたんだ」

なるほど、あの山に建築現場があったのかと納得しつつ、黙って古川の話に耳を傾ける。

「その父親がびっくりしてさ、ワゴンに乗って病院に向かったところまでは仕事を一緒にしていた連中も知っていたんだが、それっきり行方を断ってしまった。病院に姿を現すどころか、どこを探してもいなかった。

はじめは神隠しだっていわれたくらいだ。で、翌日になって、県警が人を出して、建築現場から道をたどって捜索したところ、その途中、道路の下側の山の斜面の一部に木がなぎ倒された跡がある。降りていくと、下にダムがあって、車のナンバープレートだけが木に引っかからしく、岸辺に落ちていた。ナンバーを照合してみると、、間違いなく、父親が乗って病院に向かっていたワゴン車のものだった」

「四日前っていえば、確か、雨が土砂降っていませんでしたか」

「そうなんだ。憶測だが、父親は息子が病院に運ばれたって聞いて、気が動転してさ、あの雨のなかを、しかも狭い田舎道を飛ばしたんじゃないかな。雨の道でスリップして、斜面に落ち、ダムのなかに転落したって考えるのが妥当だな」

「それで、機動隊のみなさんが潜った状況を話してくださいよ」

「どうも、照れくさいな。恥を話すみたいなもんで、参考にもなんにもならんだろうと思うよ。とにかく、ダムのなかは真っ暗で、環境が悪すぎる。なんにも見えなかった。自分の手ぐらいはと思って潜ってみたんだが、手も見えないって状態なんだ。嘘じゃないよ。そのうえ、いたるところに木があり、枝があり、株があり、人が棄てたものまである。動きがつかないんだ。目が見えない状態で、そのうえすぐ何かが引っかかって、いや、ほんとに恐ろしい潜水だった。さすがのおれたちも怖くなっちまって、ほうほうのていで捜索を切り上げたってわけだ。上司にも、おれたちの能力を超えているって正直に
報告はした」

「水深は?」

私はそう訊きながら「手も見えないっていうのはオーバーな」と、古川の言葉を半ば疑っていた。「恐怖に駆られてギブアップした連中の話にはしばしば誇張が含まれる。

「水深は我々がいたあたりで七メートルくらいだったかな。例のワゴン車がどこにあるかまでは判らなかったわけだから、捜索対象が沈んでいる場所の水深がどのくらいかはわからない」

十分な情報が得られるとは思っていなかったが、それにしてもこれだけの予備知識でダムを潜るのかと、多少の不安が胸に残った。

現場まで車で三時間ほどの距離だった。

(その2)に続く


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