水中世界への挑戦「ケース7:ダム湖での遺体探しに失敗、猟師が奇想天外な手法で成功」(その2)

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 語り手:静岡県静岡市在K氏

ダム湖での遺体探しに失敗、猟師が奇想天外な手法で成功(その2)

 転落地点である道路の端に立ち、下を覗き見ると、斜面に木々がそこだけなぎ倒されて、車の落下した痕跡がありありとしている。その向こうにダムの水面が折からの陽光を浴びて光っている。のどかすぎる景色に、そこに人間の死体が車ごと沈んでいるとはとても想像できなかった。ダムの片隅にはダムを管理する会社から提供されているらしく、黒く塗られた大型のゴムボートが浮いている。

 器材をロープに括って道路からダムまで降ろすという作業から始めた。ワゴン車が滑って落ちたおかげで、器材を降ろすのにはむしろ格好のスロープになっていた。

 機動隊員がボートの上から見守るなか、潜水器材をセッティングし、町田を促しつつ水の中に入った。とたんに、チーフの古川が事前に提供してくれた情報内容に嘘も誇張もないことが即座に知れ、ほとんど仰天した。そこは「水の世界」などという悠長な形容を超えた「漆黒の空間」、いや「墨汁の世界」と表現するほうが事実に近かった。

 眉をしかめながら私が町田と一緒にいったん浮上すると、機動隊員らは、「どうだ、おまえらに捜索できるか?」といった目を向ける。自分たちが断念せざるを得なかった捜索である。捜索の依頼はしたものの、私たちが難なくやりおおせてしまったら、立場がないという意識もあったであろう。

 私は準備してきたロープの一方の端を町田の体に、そしてもう一方の端を私の体に結び、二人を三メートルの幅に維持できることを確認したうえで、ライトを点灯、ふたたぶ潜降した。ロープはそれを引けば互いにすぐ連絡がとれ、何かがその間に引っかかってもすぐ手が打てる、合流もわけなくできるという考えに基づくもので、こうした盲目同然の潜水時のバディコンタクトによく使う手法である。

 ライトが役に立たないかも知れないとは再潜降する前から予測していたことだが、それが三メートルしか離れていない町田の位置を視認させてくれないばかりか、ライトから十センチも離れていない自分の手ですらほとんど見ることができず、あらためて肝を潰す思いだった。

 加えて、報告にあった木の株や枝ばかりでなく、ときには得体の知れない人工物までが手や足にぶつかり、二人を繋いでいるロープを予測した以上の頻度で引っ掛けもし、そのつど手探りでその場を動いてはロープをはずすという面倒な動きまで強いられた。機動隊のレスキュー専門のプロたちがあっさり断念したというのも納得がいった。

 とはいえ、この時点で「やめた」と言えるわけもなく、「頼まれた以上は」という気持ちがある。

 ダムの底のほとんどは砂と泥で柔らかく、足がくるぶしまでずぶずぶと沈みこむ。そういう地盤の上を手で探り、足で探りつつ、ダムの中央への移動するうち、いきなり足をとられた。足と手で探りを入れてみると、切れ込みがあり、その地点からダムの底が急深している。

 「おい、ここから下に行くぞ。近くに来い」

 私がロープを引きつつ声をあげると、町田から、

 「わかった」という反応がある。

 私は近づいてきた町田と体を接触させ、七メートルの水深からドロップ状のところを潜降速度をコントロールしながら、ゆっくり落ちていった。実は、町田とは透視の効かない環境での潜水もなんどか一緒に経験しており、機器を使わなくても互いに水中での会話が可能あった。体を接して潜降したのは、むろん、ロープがなにかに引っかかることを懸念し、あらかじめ回避しておこうとの深謀遠慮である。

 やがて、二人の足が底に着き、勘だが、水深は十五メートルと判断した。そこからふたたび町田と三メートルの距離をとり、なにも見えない底を這いつつダムの中央へ、つまり転落した車が湖面を滑り、沈んだと思われる方向に移動していった。

 文字どおり一寸先は闇というなかで、自分の手がいつ人間の死体に触れるか知れない。しかも、どの部分に触れるかわからないと思うと、これまで味わったことのない気味の悪さが恐怖感をともなってじわじわと胸にこみあげてくる。同じ思いは町田にもあっただろう。

 遺体の捜索にも、引き揚げにも、これまでなんども手を染めている私がダムの底で震えを感じていた。あらかじめ目で確かめてから死体に触れるのならまだいい。視認という過程が欠落したまま、いきなり死体にさわってしまうことが、どのくらい恐ろしいことか。もし、手の触れた部分が死体の足や腕でなく、顔だったらと考えたら、神経だっておかしくなる。せめて五十センチでも透視度があれば、恐怖を克服できたであろう。

 連日、厳しい環境を選んで訓練を重ねている機動隊の連中が水深七メートルの棚に入っただけで、まるで逃げるように捜索をあきらめ、退避してしまった経緯がひしひしと伝わってくる。

 それでも、「いったん引き受けたんだから」と、自分に気合をかけ、泥の底をダムの中央部へと蟻が歩くように動いたものの、動けば動くほどこんどこそ死体にさわるのではと思うから、恐怖はさらに増す。父親はワゴン車ごとダムに落ちたのだから、ワゴン車から飛び出た可能性はあるにせよ、ワゴン車の内部にいる可能性のほうが強いのではとも思いもしたが、かといって恐怖感から救われたわけではなかった。

 どのくらいの時間をダムの底で過ごしたかは記憶にない。私も町田もこれ以上の盲目潜水に耐えられなくなっていた。肝心の遺体もワゴン車も発見に至らぬまま、私は町田に浮上を告げた。

「どうだった?」

 古川は私たちが意外な場所から浮上してきたことに驚いた様子で、声音に期待が込められている。

「見つかったか?」

「ダメですね」

 私の淡々とした返事に、古川はがっかりした顔ながら、それでも器材の引き揚げを手伝ってくれた。

「ほかの方法を考えましょう。これだけの拡がりがあって、そのうえ全然見えない水中を潜って、捜索するやり方には無理がありますよ」

「ほかに、なにか良い方法があるかい?」

「とりあえず、ワゴン車を見つけることを優先しましょう。鉛を丈夫なロープにつけて、それをアンカーみたいにして、ゴムボートの上から落としてみるんです」

 浮上前に水中で考えていたことを口にした。プロの作業ダイバーがサルベージでときに使う方法であり、その方法が役に立つかも知れないと思ったのだ。

「ゴムボートを少しずつ動かしながら、何度も何度も鉛を落としてみることです。鉛がダムの底にぶつかったときと車にぶつかったときとじゃ、音も感触も違うはずですから」

「なるほど。うん、そりゃ名案だ。すぐやってみよう」

 古川は同意すると、ボートを岸辺に走らせ、車からロープとウェイトベルトを必要な数だけボートに持ち込んだ。そして、ボートを中央に走らせるよう部下に指示しながら、潜水用のウェイトベルトを十キロの塊にしてロープにつけたものを数セットつくってしまった。さすがに、仕事が手早い。

「どうだ、これでいいだろ。どのあたりから始める?」

「ゴムボートを陸地から三十メートルくらい中央よりに動かしたほうがいいでしょう。あの斜面からころがって落ちても、転落地点はそのあたりが限界でしょうから」

 こうして、ボートの両舷に鉛を持った隊員を立たせ、ゆっくり操船しながら、三十メートル付近から岸辺に向かって鉛を落下させての捜索がスタートした。

 何回か「ズン」という、明らかにダムの底を打つ感触で落ちていた鉛が突然「ボコッ」という音をたてた。

「そこだ。すぐブイを打ってください」

 機動隊の隊員はそういう仕事には慣れきっており、間髪をおかずに鉛をつけたロープに結ばれたブイが水面に浮いた。

 「それじゃ、町田、いくか」

 私は相棒に声をかけるなり、器材を背にボートから跳躍した。水中は相変わらず墨汁の世界、ブイに結ばれたロープに沿って水深を下げていくと、車らしい物体に手がふれることもなく足が底に着いてしまった。「おかしい」と思いつつ、腰をかがめ、鉛の塊を軸に、そこらじゅうに手を差し伸べて探ってみると、車の輪に手が触れた「あった」と声をあげて町田に知らせ、車体を手で確かめつつ、一周ぐるっとまわってみた。手の感触だけであったが、形は事前に古川から図面で教えられていたワゴン車にまちがいなかった。

 即座に浮上し、発見したことを古川に伝えると、

「人は?人はいたか?」

 と尋ねる。

「まさか。この水のなかで人がいるかどうかわかるわけがありませんよ」

「なんで、ドア開けて、運転席みなかった?」

「なかを見たってわかるわけないでしょ」

 実際、車内に入れたところで、助手席すら見えないという透視度である。

「だったら、手でさわってきたらいい」

 古川が執拗に言う。

「それいうんなら、古川さん、あなた自分で潜って、さわってきたらいい。器材は貸してあげますよ」

「だよな。それじゃ、車ごとワイヤー使って揚げるきゃないな」

 勝手なことを言いつつも、古川が車の引き揚げに賭けていることは肌に伝わってくる。

「どこにワイヤーかける?」

「シャフトがいいでしょう。でも、どうやって揚げるつもりですか」

「クレーンもってくるさ。それっきゃないだろ」

(その3)に続く


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