「天下り」と「渡り」

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  「天下り」と「渡り」

 公務員の「天下り」と「渡り」に関し、人事院は執拗に過去の経緯や、省庁内の問題や、永年の習慣に関係した省庁とのやりとりの難しさを強調、必死になって訴えているが、誰もが「一般の企業には、そのような仕組みはなく、それでも社員は例外なく、子会社への出向はあっても、それでも例外なしに同じ会社で停年を迎えるんだから、公務員も同じ方式を採れないことはないはずだ」と反発する。

 「次官は一人、局長は数人と決まっているから、処遇に苦労する」との発言は嘲笑を呼ぶだけ、同じ省庁にあって二人も三人も局長を増やすことができないのは、企業にあって、二人も三人も社長を増やすことができないのと同列の問題。より優秀な人材がトップに、次に優秀な人材が局長に、その他にはそれなりのポストを、ポストがなければ窓際を提供すればいいだけのこと、どこの企業もそうした手法で人事を捌いている。

 本省庁で退職金をもらい、天下り先でも渡り先でも再び退職金をもらうという、ムシのいいシステムを国民が許容できるはずはなく、いわんや天下り先を増やすために、許認可権をもつフィールドに存在する一般企業に幅を広げるため威嚇、恫喝までする姿勢は過去長期にわたって継続されてきたことも、国民は知っている。

 そして、「天下り」を受けることを拒否した企業には、同じ経営ミスを犯しても、長期の営業停止を命じた例も僅かな数ではない。許認可権を所有する者の強みといっていいだろう。

 こうした欲の皮の突っ張った醜いシステムが永遠に継続されることなどあり得るはずはなく、真摯に反省し、本来なら抵抗するのではなく、自ら先頭に立って人事のあり方を再考、再構築すべきなのではないか。

 国立大学出身の若者が公務員に魅力を感じなくなっている現状は、公務員のあり方の醜悪さそのものに責任がある。

 いうまでもないが、公務員のなかには良識ある人物も存在する。地方自治体のなかには定期労働者で馘首された人に道を開くべく独力しているところもあり、日本人の日本人としての絆が百パーセント破壊されたわけでない。


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