中国を平均値で測るな

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漱石の孫

「中国を平均値で測るな」 紺野大介(中国・精華大学招聘教授)

 2007年1月11日に「新聞報道」というブログで、ニューヨークタイムズの質の高さを云々したが、ここに採り上げるコラムはそうした範疇に入るほどに、物事の本質を突いている。

 「中国という国のサイズについて、日本人は的確な判断を欠いている」という。「コンパスで測れば、中国の東西は大阪からアフガニスタンのカブールまで、西欧の西端にあるリスボン(ポルトガル)からテヘラン(イラン)まで達する広大な面積をまず頭に描け」との示唆は当を得ている。

 そういう広大な土地で15億(13億強という説もあるが)の人間が暮らしていれば「人生も日本の15倍」、「大学の質もピンキリ、GDP(国内総生産)が世界でイタリー、フランス、イギリスを抜いて世界で第四位になりながら、国民一人当たりのGDPは世界で百二十位、どこをどうとっても、平均値で判断できる国ではない」。

 

 演繹すれば、日本に来て不法滞在をし、体を売ったり、犯罪を犯したり、殺人をやって逃げたりする人間が存在する一方で、アメリカから懇請されて留学する頭脳明晰な学生もいる。(主に精華大学)

 「中国政治のトップに立つ男は地べたから這い上がって、標高8千メートルのチョモランマ(エヴェレスト)まで達した人間、一方、日本の政治家ははじめから7合目にいて、人生の低点を経験せずに、かなりの数が世襲に基づいて、トップへ、といってもたかだか4千メートルもない頂点に立つ。出発点もゴールの高さもまるで違う。統(す)べる民のサイズなどは天と地の差がある。日本の政治家のほとんどにとって、庶民の感覚などは理解の埒外。人間としての器量、厚み、奥行きは薄っぺら、中国の政治家と比肩することすら失礼というレベル差がある。日本政治家の思考の狭さ、苦労なしの発想、外国からの威嚇や恫喝にびびる体質、自在性を欠いた視座(アングル)、人間的軽薄さ、底の浅さは目を覆うほど」。

 こういう鋭い洞察、見る目こそが新聞の質を高め、民の蒙を啓き、次の思念へのステップを提供する飛躍台ともなる。とすれば、民放TVの質の悪さを補うのは今や新聞しかないということにもなる。

 インドについても、同じようなことが当て嵌まるだろう。


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