人間の生死は測りがたし

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 表題の通り、人間の生死は測り難い。
 昨日まで元気だったやつが、ポックリ逝ってしまうこともある。
 また、逝きそうなやつが、結構長生きしてしまうこともある。
 と同時に、逝きそうなやつが、血管に点滴を、鼻と口に管を突っ込まれ、本人はそれと認識することもなく、延命策を採られることもある。

 

 私は、こういう時代を迎え、息子宛に、毎年、遺言状を書くことにした。

1.延命策は、回復の期待がもてない以上、全く不要。

2.「死」への恐怖、危惧は全くない。

3.棺は最も安いものを使え。(葬儀屋のおためごかしのセールストークに乗るな)

4.戒名、位牌は共に不要。

5.葬儀は、密葬にして、誰も呼ぶな。従って、香典も不要。

6.病院から死亡診断書をもらい、役所で火葬許可と自然葬(散骨)するための許可をとり、火葬場に予約を入れ、散骨にするという目的も伝えておけば、骨を拾う量も少なくてすむ。

7.霊柩車はもし可能なら不要。小型トラックをレンタカーし、棺を載せ、焼き場にもっていく。

8.骨をグラインドして、海に放り込め。

9.お参りなどは不要。

10.死去通知はメールアドレスに載っている人、メール受信者(アドレスにない人)、プラス別紙。逝去した日付を通知するにとどめ、必ず香典不要とのメッセージを書き込め。

 本音でいえば、献体とあわせ臓器提供も記したいところだが、死去したときの体調によっては、献体も臓器提供も拒絶される可能性がある。それで、遺言書への記入を控えた。

 

 さらに、言うならば、人間を特別な動物だと誤解している阿呆が世の中に多く、人間にだけはあの世があったり、再生があったりすなどと高言して憚らぬオタンコナスもいるが、私は人類を地上最悪の煩悩にまみれた生き物だとは思っても、神(そういうものがあるとも思っていないが)から特別の配慮を受けて誕生した生き物だなどとは金輪際考えたことはない。蟻や、蛙や、蛇と同じ、地上の生物の一種であり、かつて海から這い上がってきて進化を続け、進化が基本的な本能以上に、煩悩を本能化してしまった救いようのない性悪な生き物だと思っている。

 そういう生き物に墓を造るなど笑止というしかなく、だったら、蟻にも、蛇にも、蛙にも墓を造ってやればいい。だいたい、地球上から昆虫が死に絶えたら、人類は生きながらえることはできないが、人類が死滅しても、困る生物は皆無である。

 毎年、日本中に葬儀屋が増え、セールス電話が入り、チラシが入る。多くの墓が無縁仏と化し、あらためて墓用の土地が売り出されている。よしんば、無縁仏にならなくても、墓は、ヒンドゥー教徒以外、増え続け、数世紀(地球がそれだけもったらという前提つきだが)後には、地上は墓だらけになってしまう。これこそは、人類の壮大な無駄といわずして、なんと形容すべきか。ヒンドゥー教徒は火葬後に骨を水に流して終わりという簡易な葬儀を行う。

 「生き物は、人間を含め、地から生まれ、地へ帰る」それだけのことだ。

 人間は選択の余地もなく、一回だけ生み落とされて、懸命に生き、そして必ず一回だけ死ぬ。 人間の生涯に不公平は幾らもあるが、「生まれたら、いずれ必ず死ぬ」という鉄則だけは、だれにでも公平に訪れる。子がいれば、その子に遺伝子を遺しながら。


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