大学入試のカンニング

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 「試験にカンニングはつきもの」

 テストにカンニングがつきものであることも、カンニングの手法が時代とともに変化することも常識。

 

 インターネットを使ったカンニングがあり得ることは、技術大国日本では常識以前のはずであり、容易に予見できたことだ。

 文明の利器に関して日本より後進の国がすでに対応策を採っているにも拘わらず、この国では「社会に与えた衝撃は大きい」と自らの無策を棚に上げ、大学は過剰な被害者意識に基づいて警察沙汰にまでしてしまったことは明らかに行き過ぎだし、サイズ1の罪を10まで膨張させてしまった事実は教育現場をあずかる最高学府として責任感の有無というより、基本的な心構えを問いたくなる。

 機器がときに誤作動することを前提としたチェック機能を「Fail Safe」というが、人間もときに過(あやま)ちを犯す動物、過ちを未然に防ぐチェックシステムがあって当たり前ではないか。この時代、受験者が利器を使った不正行為に走らぬよう防御システムを構築してなかったのは、大学側の怠慢というほかはない。

  この問題を深刻にしてしまったのは大学の対応だけではない。深刻度を高めたのは、ちょっとした事件に飛びついて同じような内容を繰り返しニュースにする視聴率至上主義のTV番組。

 人という生きものの性は「善」ではない。良い智恵よりも悪い智恵のほうがはるかによく回る。誘惑に弱いのも人間に共通した短所、「清く、正しく、美しく生きている」と正面きって言える人間などそうそういるわけがない。そういう認識の希薄なのが日本社会、必然的に防御姿勢が甘くなる。メディア側だって視聴率の上がらない対象を追ったりは金輪際しない。

 根拠もなく他者を信頼できる時代はとうの昔に終わっている。そういう認識が欠落しているため、日本社会には政界、財界を含め、未だにチェックシステムがどのフィールドにも欠けている。もし、そうしたチェックがあったら、多くの犯罪が未然に防げたはずだし、今後も防げるであろう。

 

 

  


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