山岳地帯における自然の怖さ

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  「山岳地帯における自然の怖さ」

 過日、北海道の大雪山系において、中高年登山者の犠牲者が出たが、原因の第一は事前に天候を注意しなかったこと、第二に登山ツアー会社の企画だからという根拠のない理由で日程に対して疑問を持たなかったこと、第三に山のガイドとツアーコンダクターとの違いを誤解していたこと、第四に山岳地帯における気象が急変する可能性をいつでも秘めていることに対する認識不足、第五に山は高度によって外気温の変化が半端でないことの認識不足、第六に、稜線を歩くとき、もし風があれば、いつでも強風に変化し体感温度に影響することへの知識がなかったこと、などが挙げられる。

 登山は歩行能力だけに依存していいわけではない。気象に注意を怠らず、外気温を含め急変する可能性を理解し、そうした際の避難や耐久方法を事前に考えておくことが大切なポイントである。

 私はかつて高校時代は山岳部長を務めていた。

 夏季休暇を使い、まず南アルプスにある木曽駒ケ岳に登頂、下山して長野県の松本駅で新たな登山仲間と合流、白馬の大雪渓をアイゼンを使って登り、花畑で1泊、翌日は仲間と別れ、私を含め3人だけで黒部渓谷の宇奈月を目指して下山、途中で夜になり、やむなく洞穴状のところにビバーク、早朝宇奈月で待っていた先輩に合流し、朝食後に剣岳の大雪渓を昇り、立山連峰に入った。むろん、ロープウェイなどはなかった時代。

 立山連峰の雄山、浄土山を越え、はるかに目指す槍ヶ岳、穂高が見えてきたのが五色が原だったが、木曽駒ケ岳から一緒だった同期の男性がここに至って悲鳴をあげ、やむなく下山を決意。途中からトロッコに乗せてもらって新潟市に至り、市内で食事をしたあと、夜行で東京に帰った。

 トータルで13日間におよぶ登山旅行だったが、当時、高等学校の山岳部で、このような長期にわたる過酷な登山をしていた学校はなかった。とはいえ、飲料水を雪に頼っていたことで下痢にはなったが、このときの登山で特別な困難や障害に遭遇することはなかった。

 別の機会に、むろん携帯電話などなかった時代だが、八ヶ岳に登山したとき、途中で濃い霧の発生に見舞われ、われわれはその場から動くことをやめ、ひたすら霧の晴れるのを待った。また、山小屋に宿泊したとき、翌日の気象が豪雨をもたらす可能性を知り、翌日の日程に拘泥せず、山小屋に連泊したが、この判断により我々は無事に初期の目的を達し、登山を楽しむことができた。

 私の当時の先輩や仲間にはエヴェレスト登頂に成功した人もいるし、先輩には60代の年齢でキリマンジャロを制覇した豪の者もいるが、一人として遭難したり、犠牲になったり、人に迷惑をかけたりした者はいない。

 山や海を舐めてはいけないのだ。


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