文明のパラドックス

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

被災地
被災地1
被災地2

「文明のパラドックス」 自然を舐めたら、あかんぜよ!

上記の写真は東北・関東大震災時の某空港、瓦礫と化した景色。

マグニチュード9.0の地震が起こったとき、千葉市内の6階に居住しパソコンを前にしていたが、思わず飛び上がり、即座にTVをスウィッチ・オン、映像に見入りながらも、大きな横揺れに翻弄され、立つこともできず、TV画面に釘付けとなり、以後も終日映像から目が離せなくなった。

その間、二度目、三度目の地震、継続する余震に見舞われ、船酔い状態に陥り、デスクにしがみついてひたすら地震の終息を待った。震度5強という強さの地震を経験するのは二度目だったが、一度目ははるかむかしのことだった。

TVでは情報をまとめ、各地からの映像を捉え、メディアとしての義務を果たすべく、把握できた情報はできるだけ早め、早めに映像に流し、被災地へは励ましの言葉を投げ続けた。

とはいえ、TVが届けたい情報は肝心の被災地に届くはずはなく、被災していない土地に住む人々にばかり届くという皮肉なことが起こっていた。

しかも、津波に関する情報には時間を追うごとに何度も情報の中身に変化が起こっていた。

一方、地震と津波であらゆるインフラが破壊されながらも、命を全うできた被災者にとって家族や知己への連絡に頼れる機器は唯一、携帯電話だが、これがこうした自然災害に遭うと、毎度ながら何の役にも立たない。

さらに、福島原発事故が発表された後、電力の供給不足が指摘され、東京電力は供給が需要に対応できなくなり、「計画停電」を実施することになった。庶民にとっては唐突に押し付けられた指示であり、「詳しくは東電のホームページでチェックせよ」とのことだったが、世の中のお年寄りはパソコンなどを持ってはいず、自分の居住地区がどこに所属しているのか、何時から停電が始まるのか不案内のままパニックを起こす。すると、「地域ごとにカスタマーセンターの電話番号を示すから、そこに電話せよ」との新たな指示が出る。なんどかけても、電話が殺到してかからない。年寄りは翻弄されるばかり、哀れをとどめる。これも現代のインフラが情報供給源として安定していないことを示すものだった。

文明の利器に頼った現代の手法が思ったほどスムーズに運ばない、文明の利器に依存すればするほど自然災害が起こったとき、ひどい目に遭うというパラドックス。生活手段や環境が快適になればなるほど、生活の実態は脆弱になるという宿命を我々は痛いほど経験させられた。

一方で、別の利器「インターネット」が期待した通りの助けになりながら、なかには不安心理を煽るような誇大な情報や、誤った選択に導くような虚偽の情報を流す人間もいるし、通販システムを利用して金儲けをたくらむ性悪もいる。

自然災害時には決まってインフラが役に立たない、ガスも、水道も、電気も、自動車のガソリンも、灯油も、食料も、飲料も、なにもかも手に入らない。スーパーやコンビにから食料、ティシュ、トイレットペーパーなどがあっという間に消えてしまう。そういう景色を見ながら、日本人はパニックに陥りやすい民族なのだということを再認識。

最後に、「今度の未曾有の大災害をきっかけに、日本人が日本人らしく力を合わせ、整然と復旧、復興に尽くすチャンスを得たことで、日本人が長いあいだ忘れていた日本人としての誇りを取り戻すチャンスになれば」と念じ、かつ祈る。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ