欧米と日本の違い/「世間」という言葉

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  「欧米と日本の違い」


(1)刃物

 あるTV番組で、日本の板前が使う庖丁と、ドイツ人がつくる庖丁とが示された。ドイツ人の庖丁は握り部分が固定されていて、誰でもが握りやすいようにデザインされている、欧米の庖丁はほとんどその方式で製造されているのに比べ、日本の板前が使う庖丁の握りは白木が多く、板前が長年それを使うことによって、その板前の癖や腕の影響で、握り部分に変容が起こる。つまり、日本の板前用の庖丁はいかようにも板前の癖に応じられるように製造されているという。

書評:ためいき色のブックレビュー-ドイツのドライザックル製の庖丁
(ドイツ、ドライザックル製庖丁)

書評:ためいき色のブックレビュー-じゅ
(欧米で使いやすいように製造された庖丁)

書評:ためいき色のブックレビュー-日本の庖丁
  (日本の板前用の庖丁)

 (2)世間

 日本を訪れる外国人のなかには、日本の刃物を買っていく人が少なくなく、最もよく売れるのは「爪切り」で、とくに切った爪が飛び散らないタイプのものが好まれると聞く。おそらく、そういうタイプの爪切りが外国にはないからであろう。日本製の刃物は切れ味がよいとも言われる。

 上記の話とは別に、「日本には「世間」「人間」「時間」それぞれの言葉に、「間」が入り、これらの言葉が日本語に特有の「間」を強調していて、これらはすべて「空」が前提にあり、世の中(社会)のこと、人間と人間の間のこと、時間と時間のあいだのこと、いずれも、どのようにもなり得ることを暗示している。とくに「世間」という言葉には、これに対応する英語はない」との話が出た。

 なるほどと思いつつ、「それは世間体もあるし、よくない」という日本語を英語に直してみると、「It’s unlikely in the society」、「It’s not matching with the expectation of the society」、「It dosen’t fit to the society you are living」、あるいは、「It’s not a good manner as a citizen here.」、「Your behavior is against the goodwill of the society」、「Considering the tendency of the world’s habits, we have to behave ourselves」、「The 

circumstances around us may not accept your behavior」と色々に訳せはするが、臨機に応じて言葉を選択するしなかいだろう。

 自分や家族が個人としての嗜好より、世間がどう感ずるかに重きをおいているという点、衣服ひとつとっても、個性の表出より、世間に受け容れられるかどうかを優先的に考える習慣が長いあいだ、この国にあったことは事実だし、その反動が都会のギャルたちの突拍子もない、欧米のニュースに採り上げられるような異質性に転化したように思われる。

 欧米人だけでなく、途上国の人からも見ても、日本人が髪の毛を金色、茶色、その他に染色する姿は異様で奇妙に映るらしく、「なぜ、日本人は親から受け継いできた美しい黒い髪を染めてしまうのか」という質問をしばしば海外で受けるが、私はかれらが納得してくれるような説明ができない。

 私には、戦後の平和が継続したおかげで、こうした一種の突然変異が日本民族に起こったとしか思えない。

  ただ、日本人が「人間」というとき、「人は一人では生きられない、人と人のあいだ、つまり社会のなかでしか生きられない」という意識が前提にあると思われる。


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