母性は本能ではない

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子育て

 

 「母性は本能ではない」

 2007年1月14日の朝日新聞に、大日向雅美(おおひなたまさみ/発達心理学専門)さんがコラムに、「母性は本能ではない」ことを書いておられる。

 「子捨て、子殺しが多発する昨今、母性喪失という母親批判の声があるが、全国調査してみると、孤立無援で育児に悪戦苦闘する母親の姿が見えてくる」とある。

 「子は一定の年齢がくるまでは、意のままにならない生き物」であることは常識、昼夜、時間を選ばずに泣きわめく赤子につい腹の立つ思いをした親は少なくない。どのような状態にある赤子でも、わが子である以上、愛するのが母親であり、それが母親として自然の姿であると考える向きもあろうだろうが、それは間違いだと私も思う。

 泣き喚く赤子に腹を立てた親は人類が地上に出現して以来、同じ過程を踏んできたはずだが、現今と異なるのは、かつてこの国も大家族主義の社会だったことで、親がギブアップしても、大抵は祖父母や叔父叔母が仲に入って、赤子を抱き、子守を手伝うことで両親にほっとする時間を与え、怒りや苦悩を解消していた。あるいは、むかしは兄弟姉妹が多かったから、祖父母や叔父叔母が不在でも、兄、姉が妹、弟の面倒をみた。姉が一番下の妹や弟をおぶって、鞠つきをしている姿がよく見られたものだ。

 だいたい、地球上に人口が増えた根源は「祖母の誕生」と専門家が言っている。母親に代わって、あるいは母親を補助して、育児を手伝い、助言する人間に囲まれた生活が崩壊したのは、女自身の選択だった。むろん、嫁姑の諍い、意見の相違などが背景にあって核家族化が蔓延したのは解るが、私はいつも「女同士というのはなぜ争いごとや諍いごとが好きなのだろうか」と思ってきたし、彼女たちに「ほどほど」とか、「遠慮しすぎずに仲良くする能力が欠落しているのはなぜなのか」自問自答したものだが、結論は出てこない。

 核家族化を好み、その風潮を推し進めたのはアメリカ式のホームドラマの影響もあり、ほかならぬ女自身、嫁が姑、舅との別居を望んだ理由はどうやってもうまく生活する自信がないことを悟ったからだろう。

 出産から育児、小学校に入るまでの時間、仕事に出ている男親より女親に百パーセントの負担がかかるようになったのは必然の結果である。核家族を嗜好する以上、子供をたくさんは生めないし、育てられないことを、第一子を産み、育てることで知悉するからだ。 むろん、傍らには祖父母は不在、兄弟姉妹にも赤子の面倒を見られるような年齢差はない。私は5人兄弟の長男、一番下の弟とはひとまわり年齢が違い、ためにオムツの取替えから、哺乳瓶で温めた牛乳の熱さまで確認し、面倒をみた。そうした環境に、現今の母親はない。

 現に、大家族でしか居住できない発展途上国の人間はお互いに援けあって生活している。むかし日本でも見られた兄弟、姉妹による支援、補助は現在でもそのまま生きている。姉が妹や弟をおぶって遊んでいる姿などはありふれた光景だ。とはいえ、たとえば、インドネシアのお嫁さんに、「もし別居が可能なら、別居を選びますか?」と問うたら、「もちろん、別居したいです」との答えが返ってきた。貧しいことのメリット、富むことのデメリットを考えさせられた。

 子捨て、虐待、殺戮、すべて核家族化に原因があるし、戦後の日本人がアメリカナイズされた結果だと私は思っている。このような状態を解決するには、最早、育児に夫が参加するほかはなく、社会も企業も、それを許容することだろう。もっとも、夫婦で幼児を虐待というのが昨今の風潮ではあるが。

 「母性は本能ではないことはいまや定説です」とは大日向さんの言葉だ。


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