法曹界に変化

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「法曹界に変化」

 新聞記事による。

 日本はむかしから「検察官」も「お上」として存在してきたが、ドイツなどは1970年代以降、犯罪被害者の訴訟参加が進んでいる。犯罪が多様化し、検察官が対応しきれなくなり、「市民に代わり検察官が訴追する」という原則が幻想であることがはっきりしてきたという事情。

 国もこれを公式に認め、「幻想ならば、市民から直接聞かねばならない」との流れのなかで、被害者の訴訟参加制度が生まれた。被害者の大きな役割は中身が見えない法曹界の世界に監視役として入り、透明化することにある。その意義は、先般から話題になっている「裁判員制度」にも共通する。

 被告人のすわる位置も、日本では裁判官の前に一人で座ることが多いが、ドイツなどでは弁護士の隣に座り、説明も受けられる。被告人と弁護士との意思疎通が密にとれる西欧型への変容が進みつつある。

 「日本も漸くここまで来たか」というのが、私の正直な感想。社会の在り方の多様化が法曹界の変容を強いているのだと思う。

 それにしても、私に不可解なのは、なぜ裁判官というのは偉そうな顔をして、あの高い位置から入廷している人々を見降ろす場所に席を設けるのだろうか。建前として、裁判官は国民の審判を受ける立場にはあるが、裁判官としての資質がそれぞれ公けにされたことはないし、メディアで扱われたこともないし、国民が知る機会など全くないことがなぜ問題にならないのだろうか。

 「国民の審判を受ける」とはいっても、選挙の度に、顔写真が簡単な略歴と一緒に出され、その人物を裁判官として認めるか否かと訊かれても、正直なところ、応じようがないではないか。何を根拠に、その人物が裁判官として推挙されているのかすら判断する材料は民間側にないのだから。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ