犯罪はその社会の裏面を映す鏡

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 このところ連日にわたって角界の不祥事が報道され、角界の社会性の欠落が指摘されているが、反社会的な組織との接触ないし関係に不感症になっている角界のありようそのものが、日本社会の裏面を映す鏡にもなっている点を見逃してはいけないと思う。

 第一に、暴力団を反社会的存在と認識し、撲滅キャンペーンの垂れ幕を各警察署の壁に掛けながら、そういう団体を組織することを法的に禁じようとしない政治体質、警視庁体質、官僚体質、メディアの姿勢が私には全く不可解。

 だから、国が認可している博打行為(競輪、競馬、オートレース)以外でも、パチンコ店の、いわゆる景品引換所が実態は「現金引換所」になっていることを警察官もパチンコ・フアンも100%が知っている事実。だからこそ時折、景品引換所だったら存在するはずも必要もない大金が強奪されもする。これも警察がというより、日本社会全体が知っている事実。もちろん、パチンコ店は全国に相当数存在し、そこで働いている従業員も半端な数ではないが、こうしたいい加減さが生む犯罪とはいえるだろう。

 同じことはソープランドにも、新宿歌舞伎町のエステ店にも、マッサージ店にも、雀荘にも、ホストクラブにも、フィリピン・バプにも、韓国パブの売買春や不法滞在にも偽証結婚にも言えるだろう。人類始まって以来、世界中で例外なく延々と行なわれている最も簡単な商売、身体を売ること、これもこの国ではだれもが知っていながら、時折の意図的な、というより義務的な踏み込みを民放TVで流し、日本警察があたかもまっとうな仕事をしているかに見せかけているだけで、虫唾が走る。警察官自身が非番のときなど、やって来ては、射精代金をけちって、やり逃げするなど日常茶飯事。

 ソープランドはかつてはトルコ風呂と称したが、トルコ総領事からクレームを受け、名前を換えたという歴史があるが、そもそも、昭和31、2年に売春禁止法が立法化され、それまで在った「赤線地帯」が消滅、昭和40年前後に赤線地帯に変わって全国的に誕生したのが「トルコ風呂」だった。

 こうしたいい加減な社会の裏面、あるいは実態を観ている若手の力士が野球賭博程度のことでこれほど大騒ぎになるなど予測することはなかっただろう。当然あるべきまっとうな意識を社会全体が失っているというほかはない。野球賭博そのものを糾弾するより先に、「反社会的」と称する組織を法的に立ち行かなくさせるのが物事の順というものだろう。「暴力団組織」というのなら、それが明らかに「暴力団」であるなら、そういうものを組織すること自体が許されるべきではない。はじめから、暴力団という組織が存在することを認めているかの印象を与えているのが、たとえば、日本のメディアの姿勢であり、常日頃政治に対して鋭く批判する姿勢からは遠く感ずる。

 毎年くりかえされる日教組と右翼、どこで日教組が会合を開いても、右翼は必ずやって来ては邪魔をし、嫌がらせを行なう。私自身は日教組の存在が子供たちの教育になんの役にも立っていないし、有効に働くこともなく、教師らのガキさながらの主張を押し通す会合だと思っているが、それにしても、これの障害になり邪魔をする右翼は過去長い期間、自民党の政治家が支援金を出すという関係であることには唖然とせざるを得ない。日教組がどんな組織かは別にして、日本の社会はそういう政治家の行動をまるで是認してきたかのように映る。こうした「本音」と「建前」を別にしつつ、世の中をなぁなぁで押し切ってきた現状はこの国独特のもの。

 今回の角界の右往左往している問題に接しながら、私は古来言われる「犯罪はその社会の裏面を映す鏡」という言葉をあらためて噛み締めている。

 つまり、問題の根っこは古い体質の角界にもありはするが、上記のようないい加減な社会体制を認知してきた政治家、官僚、警察、国民にもなにがしかの責任がないとはいえないだろう、とくにいつもはパパラッチさながらの動きをするメディアが右翼や暴力団が相手だとトーンダウンする姿勢は納得がいかない。

 角界などは国技、国技といいながら、重量以上の力士のかなりの部分が外国人で占められている。国技を声高に言いたいのなら、まず親方が外国人力士に教育をほどこすべきで、それができなかった朝青龍の親方は低能であり、ガッツポーズがいけないとバッシングされた朝青龍を受け容れられなかった日本相撲界は懐が浅いと思うし、外国人力士によってこれだけ寄与されて興行が成り立っている現状からは、国技、国技と言っているやくみつる、デーモン閣下というのが瘋癲にしか感じられない。


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