アメリカ体験記「こういう米国人もいた」

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ボストン市街

 ボストンを含め米国大陸の東海岸は初期の殖民で、イギリスが真っ先に浸食したエリアであり、ボストンは特段に意味のある、古い街である。

 また、この街はニューファンドランドという魚場に近く、新鮮な魚介類が食通の舌を愉しませるシーフードの街としても名がある。

 その日の夕方、セールスを終えるなり、私はロッキーが経営する鉄板焼きの「ベニハナ」を訪れた。

 食材を焼く鉄板は全部で3つか4つあったと記憶するが、1つずつにシェフがついて、客の注文を聞き、目の前で料理してくれる方式で、東京の有楽町にあった「ベニハナ」の息子、ロッキーのアイディアでスタートするや、一躍アメリカ人のあいだで人気となり、2、3年のうちにほとんど全米の大都市に店舗を展開したことで、私たちのあいだでは有名だった。なにせ、味つけに日本の醤油を使うので、日本人の嗜好にも合った。

 面白いのは、そのロッキーという人物が元々はアマチュアレスリングの選手で、アメリカで開かれた大会に参加したあと、アメリカが気に入ってしまい、といって所持金は僅か、聞くところによれば、彼は不法滞在のまま、僅かな所持金でアイスクリームを仕入れ、それをドライアイスの詰まった箱に入れ、自転車の荷台に置いて、白人なら絶対に足を踏み入れない貧しい黒人ばかりが住むハーレムで、子供相手に売り、数年で鉄板焼きの店を一軒もてる金を貯め、商売を始めたという。

 私がボストンを訪れたときには、ここにも一店舗あることを電話帳で確かめて出かけてみた。店のなかに入って、空席にすわり、客が揃うのを待っていると(1席に6、7人がすわれる)、白人の若い夫婦が幼児を伴い、私と同じ席に場所を占めた。飲みながら、食べながら、その夫婦と会話をするうち、互いにすっかり打ち解け、しまいには、

「あなた、タクシーで来たんだろ? だったら、とりあえず、このあと私の家に来ないか。そのあと、また車であなたが泊まっているホテルまでお送りするから」

 と、信じられない親切を口にし、妻の顔にも「ぜひに」という肯定がうかがえる。

 訪れてみてはじめて諒解したのは、若い夫が最近になって殖民しはじめた頃の古い家を欠陥だらけであることを承知で安く買い、日曜大工を愉しんでいることだった。私はその夫に連れ回され、「ここは先週、ここは先々週、ここは1か月前に手を入れて直した」という話を延々聞かされたが、イギリス人の好む古い家というもののおよその輪郭が把握できたことは幸運だったと思っている。

 また、夫婦はそればかりではなく、「ウィスキーがいいか、バーボンがいいか、カナディアンがいいか」などと飲物まで出してくれて、歓待してくれた。これだけ世話になって何も置かずにというわけにもいかず、といって、夕飯を食べるために外出した私の手元にはなにもない。

 そこで、亭主が宿まで送ってくれたとき、しばらく待ってもらい、エイジェントへのギヴアウェイ用に持参していたシルクのスカーフ1枚を「これは日本のシルクだから、奥さんにあげて」といって手渡した。

 以後、5、6年はクリスマスカードのやりとりが続いたが、自然に来なくなり、出さなくもなり、縁は切れてしまった。

 ボストンは野球ではレッドソックスの本拠地、日本の松坂投手夫妻も、おそらく、ボストンでシーフードを愉しんでいることだろう。

(上の写真はボストンの市街)


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