アメリカ体験記6 「外国人観光客誘致の仕事」

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「アメリカ体験記」 その6

 「外国人観光客誘致の仕事」

 13年間、北米大陸を駆けずりまわっていた頃、カメラは持っていたが、こうした仕事で海外に出張するとき、私はカメラを持参したことはない。ちなみに、外国人を日本に誘致する仕事を「インバウンド・ビジネス」といい、日本人を海外に連れ出す仕事を「アウトバウンド・ビジネス」という。

 大陸に着陸し、そこがどの都市であれ、ホテルにチェックインするなり、フロントマンに文房具を売っている店を紹介してもらい、そこに行ってスケッチブックと鉛筆(B)を買うことを習わしとしていた。

 アメリカは当時から土日は休みで、仕事はしたくともできなかったから、休日の都度、私はホテルの周辺を歩き、気に入った風景があれば、それをスケッチした。

 ときには、スケッチをやめて、映画館にも出向いた。「ガッド・ファーザー」も「ジョウズ」も「ダイハード」も「タワーリング・インフェルノ」(インフェルノとは業火を意味する)もアメリカで見たが、シカゴで、ロフト」という映画を見たときは超びっくりした。すでに映像が流れていたので、周囲は真っ暗、適当な席に腰を降ろして画像を見ていると、黒人がイタリアマフィアをやっつける内容で、とくに面白いとは思わなかったし、それ以上のことも記憶にないが、映画が終了して、館内に照明が灯されるや、映画館の内部にいた人がすべて黒人であることに気づいた。

 2006年12月15日に「果物/摩天楼/ジャズ・フェスティバル」というタイトルでブログ記入をした通り、私はことさら黒人を嫌ってはいないし、ジャズが好きな以上、名の知れたジャズマンはほとんど黒人でもある。が、上記した映画館での印象はちょっと違う。たくさんの小さな映画館が並んで、そのうちから一つを選んで映画を見る時代ではなく、すべての映画館の規模が大きかった。そういう空間を占める人間がすべて黒人だったという雰囲気は、東洋からやって来た私には異様なものに感じられたのだ。

 まだ、ある。1968年前後だったと記憶するが、「BADA」という名のトータル280名という大型の団体を迎えに、ガイド7人とバス7台を同伴して当時の国際空港である羽田に赴いた。腕章を腕に巻き、カスタムズのなかに入ってしばらしくしたとき、前方に見えるイミグレーションの周囲が真っ黒に染まった。なんだろうと怪訝な面持ちでよく見ると、イミグレを通過してきた黒人の手にあるカバンに「BADA」というマークがあるではないか。明らかに私がハンドリングをまかされた団体である。

 外人の観光客を誘致する仕事に就いて初めて経験する光景だった。280人が280人ともにすべて黒人だったのだ。それは私にとって初体験というにとどまらず、羽田空港にとっても、業界にとっても、日本にとっても、初体験だったことで、いわば前代未聞、空前絶後というべき体験だった。相手エイジェントとのコレスポンデンス(商業通信文)の往復書簡にも、この団体が黒人であることは明記されていなかった。

 後刻、確かめたところによれば、「BADA」とは「Black Americans’ Doctors Association」の略称で、280人はアメリカ大陸で医師を職業とする方々で構成された団体だった。

 「ガイドを驚かせてはいけない」との判断で、急いで外に出、彼ら、彼女らに状況を伝えた。

 全員を7台のバスに分乗させ、私もそのうちの一台に乗ったとたん、最前列に席を占めた男が、「I’m a boss of this group. Probably, you are also a boss here on the side of Japan」(わたしはこのグループのボスだが、あんたも日本側のボスだろう)というので、うなずくと、「These people behind me are all mentally hanndicapped」(わたしの後方にいる連中はみんな精神異常者だ)というではないか。ぎょっとする私を見るや、その男は「ガッ、八ッ、ハッ」と笑い出した。要するに、冗談ではあったが、一瞬、私も、そのバスを担当したガイドも呆気にとられたという実話。

 私が北米大陸を駆けずりまわっていた頃、訪れた都市は、マイアミ、タンパ、ダラス、ヒューストン、ソルトレークシティ、アルバカーキ、デンバー、サンディエイゴ、ロスアンゼルス、サンフランシスコ、サンアントニオ、サンノセ、タコマ、シアトル、ポートランド、キャンサスシティ、セントルイス、デトロイト、シカゴ、ピッツバーグ、フィアデルフィア、ワシントンDC、ボストン、ニューポート、ミルウォーキー、クリーブランド、サクラメント、インディアナポリス、アトランタ、ミネアポリス、セントポール、そしてカナダのヴァンクーバー、トロント、オタワ、モントリオールと、ほぼ全北米にわたっていたが、ニューヨーク滞在中にはしばしば田舎から車を駆ってやってきたアメリカ人に、「ジャーマン・タウンはどこ?」とか、「イタリアン・ビリッジはどこ?」などと聞かれたものだが、ニューヨークは別格ともいうべき都市で、他州の人々はNYCはアメリカではないと言うし、ニョーヨーカーはNYCこそがアメリカであると言ってはばからなかった。

 残念なのはセールスである以上、いわゆるツーリスト・スポットと呼ばれる土地にはほとんど縁がなかったことで、辛うじて、ニューヨークに3か月滞在したときに、休日を利用してナイアガラ瀑布を見たことと、ロスのデズニーランドに行ったこと、海外旅行の仕事に移ったときにラスヴェガスを訪れたことがあるくらいだ。

 


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