アメリカ体験記「乙姫様に1万ドルずつ盗まれた二人の男」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

サンフラン

 いまだから話ができるという類の事件。

 某新聞の優秀販売店主を35人ほど同行、サンフランシスコからメキシコシティ、ロスアンゼルス、ハワイと回って帰国するという日程だった。

 サンフランシスコに到着した当日、私はしつこいかなと思うほど、「部屋にいるとき、ドアをノックしてくる乙姫様がいますが、絶対になかには入れないように」と注意を促した。乙姫様とは娼婦を洒落て言い換えただけのことだ。

 翌朝、まだベッドのなかにいた私の部屋に電話があり、客の一人から、「実は、夕べ、女を入れちゃったんだ。で、金やられた」

 よくよく聞いてみると、円キャッシュ100万円ほどはフロントに預けて無事だったが、ポケットに入れておいたドルキャッシュ1万ドルとトラヴェラーズチェック8千ドルがいかれた。しかも、一人だけではなく、隣の部屋にいた仲間の男も同じような額をかっぱらっていかれたという。1万8千ドルとはいえ、その当時の為替レートは1ドル=¥170ほどだったから、換算すれば、360万円に相当する。

 そのときの様子を彼は次のように説明した。

 「注意されていたんだけどさ、アメリカの白人の女ってのはどんな味なんだろうなんて、隣部屋の友人と話して、すけべ心を起こして、部屋ん中に入れちまったんだ。顔立ちも悪くなかったし、品もいいし。そしたら、女が先にシャワー浴びさせてっていうから、どうぞっていうと、しばらくして、裸にタオルを巻いた姿で出てきて、ベッドにしゃなりとすわって、『さぁ、こんどはあなたがシャワー浴びてちょうだい。わたしはベッドで待ってるから』と、こうさ。その姿にすっかり油断してさ、金の入ったセビロをハンガーにかけたまま、シャワー室に入って、汗を落として出てきたら、女の姿は消えていて、そのうえ、セビロにあったはずのドルキャッシュとトラヴェラーズチェックがぜんぶ消えていたってわけ。隣の部屋にいた友達にも聞いたんだけど、やり口はまったく同じだったらしいな」

 舌打ちしたいところだったが、とりあえずフロントには円キャッシュが預けてあり、トラヴェラーズチェックの控えナンバーの紙もあったので、その日の市内観光を二人には諦めさせ、むろん私も不参加となり、最寄のバンク・オブ・アメリカ(略してバンカメ)のオフィスに二人を同行した。

 「なんで、日本人はキャッシュを持ち歩くの?」

 バンカメの女性スタッフはキャリーしたキャッシュが一人で1万ドル、トラヴェラーズチェックが8千ドルという金額を聞いて、信じられないという表情をみせた。もう一人も、金額的にはほぼ同じ被害だった。

 「こちらでケアできるのはトラヴェラーズチェックだけですからね。でも、なんでそんなたくさんの現金をもって旅行するんですか? 日本にだって、クレジットカードがあるでしょうに」

 おっしゃることはいちいちご尤もだが、覆水は盆に還らない。8千ドルだけでも、トラヴェラーズチェックが戻ってきたんだから、二人には1万ドルずつのドルキャッシュは諦めてもらうしかない。二人あわせて340万円の被害になる。

 これだけの目に遭っても、二人の容貌には落胆とか怒りとか、そういう色は出ていない。

 「いやぁ、あなたがいてくれて助かりましたよ。なんで、あなた、そんなにアメリカ慣れしてるの?」

 などと、私に訊く。

 「前の仕事はアメリカ人観光客を日本に誘致する仕事だったんです。だから、一人でアメリカ中を歩きまわってたんですよ」

 「なるほどね。おれたちゃ、ついてたってわけだ」

 二人には反省の色がまったくない。

 市内観光に出ていた他の客とはちょうど昼食時にサンフランシスコで有名なフィッシャーマンズ・マーケットで落ち合ったのだが、私はそこで食べた生牡蠣にあたってしまい、ひどい下痢に悩まされた。ほとんど全員が生牡蠣を口にしたにも拘わらず、下痢を起こしたのは私だけで、午前中の観光をパーにし、昼は下痢を起こし、店のトイレで唸っていたという顛末に、段々腹が立ってきた。

 乙姫様にやられた二人からは成田空港に到着したときに再び悩まされた。

 イミグレを通過し、カスタムズを通って出てきた客は全員が揃うまでいったん一箇所に待ってもらったのだが、例の二人がいくら待っても出てこない。皆を待たせ、私は一人で再びカスタムズに入っていき、事情を尋ねてみると、「あの二人じゃないかな。ポルノビデオもっててね、それがポルノに決まってるのに、ポルノかどうか一緒に見てみなきゃわからないなんていって、別室で係員と見てるはずだよ。全部見たら30分はかかるな」と言う。

 ポルノビデオの持込は禁止されているし、そのことは事前に注意している。私は意を決し、待たせていたお客に事情を伝え、「あの二人は放っておいて、バス出しますから、乗ってください」と言うと、皆「それでいい」という顔をしている。

 バスはあらかじめ手配されたもので、都心にある新聞社の本社に着いたら解散という手筈だった。二人はおそらくリムジンか電車で帰ったと思うが、バスに乗車していた客のほとんどが都内に入ったとたん、「本社に行かないよ。東京駅で下ろしてくれ」と言ったことに、私は驚いた。

 理由は後刻判ったが、どっさり買った土産品のほとんどは二号さんへの土産だから、駅のロッカーに入れておかないと、全部奥さんに取られてしまうからということだった。たかが新聞の販売店のおやじだと思っていると、大間違いで、販売部数の多い優秀店の主人は二号もいるし、金も持っていることを、このツアーをハンドルしたことで知った。時代が違うといえば、そうとも言えるだろう。

 彼らが買った土産品の主なものはメキシコ産のオパールと銀細工である。

 ただ、メキシコシティではたまたま日曜日にあたり、市内の一隅で、泥棒市が開かれていた。バスから客を降ろす前に、「先年、ここでオリンピックが開かれたことは皆さんご存知の通りですが、この市場のどこかに必ず、オリンピックの記念メダルか記念硬貨が売っているはずです。誰が最も安価に一枚を入手できるか競争しませんか?」と私が言い出し、トータルで12,3人がメダルの入手に成功したが、価格では私が二番目で、負けてしまったことが未だに忘れられない思い出となっている。

(上の写真はサンフランシスコ)


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ