アメリカ体験記5 「自動車業界」

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フェアレディー

「アメリカ体験記」 その5

 「自動車産業」

 アメリカのビッグスリーと称される「ジェネラル・モーター」「フォード」「クライスラー」が凋落の一途をたどっている一方で、同じアメリカ市場で売り上げを伸ばしているのが日本の自動車産業。

 アメリカで仕事をしていた頃、日本車ではじめて目にしたのは、「サニー」と呼ばれていた車で、アメリカでは「B2-10」(ビートゥーテン)と呼ばれていた。低燃費が売り上げを伸ばす素因だったと思われるが、日産の「フェアレディー」が「200Z」(トゥーオーオーズィー)という名で売られ、「アコード」が陸揚げされ、それぞれの車が日本で販売されているタイヤより上質のタイヤをはめることでアメリカの仕様基準を満たしていたことに喫驚した。日本の自動車産業界が日本人をバカにしているような印象をもったからだ。

 とはいえ、アメリカの大型車が並ぶ駐車場で、人だかりがしている場所に行ってみると、そこには決まって「アコード」」や「フェアレディー」があり、大型ばかりが不細工に並んでいるなかで、そうした日本車がいかに光り輝いて見えたか、格好よく見えたか、数十年が経過したいまでも、その光景が鮮やかに浮かび上がってくる。

 しかし、日本の自動車がアメリカ大陸のどこに行っても見られるようになった裏には、アメリカという社会の質を無視するわけにはいかない。ビッグ・スリーは盛んに「Buy American」(アメリカ製のものを買え」と宣伝し、テレビでは日本車とアメリカ車を衝突させ、日本車が大破する映像を盛んに流したが、それでも日本車の売れ行きを抑止することはできなかった。

 (アメリカでは競合する企業の製品の欠陥や弱点を暴露することで自社の宣伝をすることが法的に許されている)。

 アメリカ人消費者は「われわれには質のよい、より安価な車を入手する権利がある」と公言することを憚らなかった。日本車の売れ行きに歯止めをかけず、むしろ促進したのは、むろん日本車を販売するサイドの努力もあったけれども、アメリカ人自身による差別を排した購買意欲に負うところが大きかったと私は思っている。だからこそ、アメリカ政府は日本政府によるアメリカ製品の輸入枠の拡大を求めてやまなかったのだ。

 「販売するサイドの努力」といったが、私が当時見ていたかぎりにおいて、アメリカの自動車会社は売りっぱなしで、アフターケアーに力を入れていなかったのに対し、日本車ディーラーは本社からの指示を受け、「アフターケア」という、それまでアメリカでないがしろにされてきた部分に注力し、これが功を奏したのではないかとも思われる。もっとも、そのおかげで、消費者は自動車の故障を自らの手で修理できず、習ったはずの「構造」についても忘却してしまった。ために、日本の自動車会社はアフターケアをもビジネスにして、付加価値を増やすことに成功している。

 戦後、日本がいかにアメリカに多くを負うているか、沖縄の早期返還のみならず、アメリカへの好悪は別に、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っている。私はアメリカ車が景気のよい時代、クライスラーからもGMからも大きな団体を送ってもらい、日本でハンドリングさせてもらったという経験をしている。いわゆるインセンティブツアー(報奨旅行)というものは、アメリカから始まったのだ。

 (写真は現在のフェアレディー)。


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