「愛」という言葉を口にできなかった二人のために/沢木耕太郎著

「『愛』という言葉を口にできなかった二人のために」 沢木耕太郎著(1947年生)著
幻冬舎  2007年4月初版 単行本

作者が「暮らしの手帳」で見せられた新作の映画のうちの幾つかと、「書きたい」衝動に駆られた映画に絞って評を書いたものを二冊の単行本にまとめたうちの一冊が本書で、もう一冊は「世界は使われなかった人生であふれている」とのタイトルで本書より先に上梓されている。

本書を読んでの感想として、最も私の脳裡に往来するのは小説や、ことにノンフィクションを多く書く沢木耕太郎とはあまりにも異なる人柄、性格、感性に接することで、この作者のフアンにとっては意外な側面を窺い知ることができるという点に価値があるような気がする。そのことで、ますますこの作者に傾倒する読者と、少しがっかりする読者とがあるかも知れない。

数多くの映画が紹介され、思いの丈が述べられ、それぞれに作者らしい個性が窺えるが、ある一遍で、作者が「人は旅をすることで賢くなるのか。何かを知り得るるのか」との自問自答がある。作者自身が海外のいたるところを旅した経験者として、「賢くなったという自信がもてない」という下りについては、『彼らの旅』という映画を通して書かれている。

「彼らの旅」という映画のストーリーは:

二人の男が一台のオートバイを利用、アルゼンチンのブエノスアイレスからベネズエラのカラカスまで、南米大陸を半周、途中でオートバイが壊れ、ヒッチハイクをしながら1万キロ以上の長旅に出るという、1952年の話。

一人はカラカスに残って家庭をつくり平和に暮らすが、もう一人はメキシコから中米、南米を走破することで、いずれの土地にもマヤ、アステカ、インカなど、ほとんど同じ民族で構成されていることを認識するや、革命家に変身。キューバのカストロを助けて、革命に成功、次いで大陸に戻り、共産化を促す運動を起こすものの、反政府軍と行動を共にしてボリビアの山中に隠れているときに捕えられ、政府軍によって処刑される。この男こそがチェ・ゲバラであるという内容。

まず、メキシコ以下、南米の南端まで、ブラジルだけがポルトガル語で、他の国はすべてスペイン語圏であり、この二つの言語にしても互いに相似のラテン系の言語である。どこの土地に行っても、意思の疎通に困ることはなかっただろうし、他国と思っていた国の風習や文化がどの国とも一致するもののあることを認識することに時間はかからなかったはずで、主人公にとってこのバイクを使っての長旅もさしたる艱難はなかったであろう。当時、アメリカは中南米に第二のキューバをつくらせないために、反革命者、赤化を嫌う分子には膨大な資金と兵器とを供与、赤化を防ぐことに全力を尽くしたという史実がありはするが。

「旅」というものを考えたとき、日本人の旅はあまりに短期間で、「旅」に値しない。海外に出る人間は多くはなったが、短い日程ではツーリストスポットを訪れ、あまった時間はショッピングにという訪れた土地を理解するような内容のものはない。いわば「観光」ばかりしているわけで、訪問した土地の何かを学び、土地の文化や習慣への理解を深めることはあり得ない。

真の意味で、他国を知ろうとするならば、現地に居住し、現地の言葉を覚え、現地の人間と直接会話を交えるレベルまで努力しないかぎり、他国のことはわからない。日本人の平均的な旅行は観光の域を出ていず、単に「行った」「見た」「買った」というだけの結果に終わる。だから、年に1千万の日本人が海外旅行をする時代になっても、日本人は外国人や外国の文明を理解したことはない。それが証拠に、だれも国際化、グローバリズムを理解するに及んでいない。

この一遍については、作者は何か勘違いをしているのではないかという気がしないでもない。


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