脳は空より広いか/ジェラルド・M・エーデルマン著

脳

「脳は空より広いか」 ジェラルド・M・エーデルマン(1929年生)著
訳者:冬樹純子 監修:豊嶋良一
原題:Wider Than Sky
草思社  単行本  2006年12月初版

 

 本書は「脳」というよりも、人間の存在を「意識」の面から追い詰めた内容で、歴史的に「意識」の世界は宗教的な部類に入り、そこに科学のメスを入れることは一種のタブー視されていた分野である。また、「意識」の問題は客観的、定量的な観測を拒否する対象であり、科学者にとって検証不能な、禁断の領域でもあった。それゆえに、本書は世界中の科学者が待望していたスリルと驚くべき知見とに満ちた最新の理論といっていい。

 作者は1972年、43歳時に「免疫抗体の科学的構造に関する研究」でノーベル化学、生理学賞を受賞、その後、発生学、脳科学、ロボット工学を手がけ、すべての分野で革新的な業績を残した博士である。

 正直いって、本書はほとんど教科書であり、私にとって批評の対象ではない。読後には学ばせていただいたという意識しか残らなかった。個人的にエッセンスを以下に列記するが、こうした方面に関心のない方には長すぎる記述になるので放念して結構。

1.脳なくして意識はあり得ない。何かを引き起こすのは意識の基盤である神経プロセスであって、意識そのものではない。

2.意識とは脳のさまざまな領域で分散活動するニューロン群によってダイナミックに遂行されるプロセス。

3.心理学者のウィリアムズ・ジェイムズは以下のように言う。

 1)意識は個人の内のみに生ずる。

 2)意識は常に変化しながら連続している。

 3)意識は志向性をもつ。

 4)意識は対象のすべてに向けられるわけではない。

4.意識が抱える能力には明らかに制約がある。意識状態が膨大な範囲で変化できることは対照的。

5.クオレは単数形で、クオレアは複数形だが、温かさ、痛み、色合いといった我々が感じている特有の意識であり、高次元の識別であり、背景には様々な部分における配線や活動の違いがある。

6.脳を構成する要素

 我々の知っている宇宙の中で人間の脳より複雑な物体があるだろうか。人間の脳の重さは1,300グラムから1,400グラムだが多くのシワが刻まれ、入り組んだ大脳皮質として知られる構造をなし、折りたたんででシワを伸ばせば45-50センチの大判のナプキンほどの広さと厚さになる。少なくとも、300億個のニューロン(神経細胞)が含まれ、シナプスと呼ばれる繋ぎ目はなんと10万x100億個にも達する。シナプスを一秒に一つずつ数えていたら、3,200万年かかる。

7.ニューロンは近いものどうしでは灰色質と呼ばれる部分で、互いに結合して緊密なネットワークを形成し、また遠く離れたニューロンとは、白質という神経線維の束を介して連絡をとりあっている。大脳皮質は六層構造になっていて、各々の層で異なったニューロンの結合パターンがある。大脳皮質は視覚、聴覚、体性感覚のような各種感覚機能を担う場所に分かれている。運動機能に特化している場所では筋肉を動かす。入出力に拘わる感覚野や運動野以外の大脳皮質の領域は連合野(前頭連合野、頭頂連合野、側頭連合野)と呼ばれ、外界とは接することなく、脳内のそれ以外とのみ連絡をとる。

8.脳内ニューロンは形も様々で、種類は200以上、直径30ミクロンの細胞体と、その細胞体から伸びる樹状突起と呼ばれる多数の木の枝のような部分からなる。そのうち特に伸びた一本は軸索と呼ばれ、この軸索を使って自らを他のニューロンに繋げる。この繋ぎ目をシナプスという。

9.シナプスは信号を送るニューロン(シナプス前細胞)から信号を受ける。ニューロン(シナプス後細胞)とを繋ぐ場所だが、物理的には繋がっていないので、「シナプス間隙」と呼ばれる。軸索の末端にある「シナプス前側」には神経伝達物質として知られる化学物質が詰まった袋(シナプス小胞)がたくさん含まれている。静止状態のニューロンは細胞膜の性質ゆえに細胞の内外で電位差が生ずる。ニューロンが興奮すると、この電位差が崩れ、細胞膜を縦貫して穴(チャンネル)が開き、パルス状の電気が発生する。これが活動電位で、軸索に分布するチャンネルが次々と開くことによって、この信号が細胞内から軸索へと下がっていき、シナプス小胞から神経伝達物質がシナプス間隙へと放出される。

10.神経伝達物質は受け手であるシナプス後細胞の受容体で受け取られる。一方、受け手側のニューロンは他にもたくさんあるシナプスで同じように受け取った信号で結合し、それが一定の値に達すると、今度はニューロンが活動電位を発生するという仕組み。

 このようにニューロン間のコミュニケーションは電気的な出来事と科学的な出来事の巧妙な組み合わせで行なわれる。すさまじい数のニューロンは脳のいろいろな場所で発火、すなわち活動電位を発生させているが、脳の場所によって神経伝達物質や化学物質の種類が異なり、それによって発火のタイミング、頻度、順序が変わる。

11.健常な脳でくり広げられる複雑かつダイナミックな活動パターンを達成、維持するためには興奮性のニューロンだけでなく、それらの発火を抑える抑制性のニューロンも必要。興奮性ニューロンでは神経伝達物質としてグルタミン酸という物質が使われ、抑制性のニューロンではGABA(ガンマーアミノ酸)が使われることが多い。化学構造が異なれば、その効果も異なり、分布の異なるそれらが混在してバランスよく作用することが神経活動に不可欠である。

12.「意識の発生」を理解するのに重要な構造は視床である。脳の中心に位置する視床は意識の働きに絶対欠かせない存在。視床は多くの神経核で構成される。外界からの刺激は感覚受容器官(目、耳、鼻、皮膚)から脳へ入るが、その信号を伝える神経は感覚の種類別にそれぞれ特定の視床核に繋がっている。網膜で捉えられた視覚入力は視神経を通って視床の外側、膝状体というところで中継され、さらにVIと呼ばれる皮質の「一次視覚野」へと送られる。

13.脳は三つの神経解剖学的構成単位からなる。

 1)視床ー皮質系でニューロン集団が近いもの同士。あるいは距離のあるもの同士に濃密な双方向のやりとりで連絡しあっている。

 2)大脳基底核などの抑制性の回路にみられる多くのシナプス性のループ構造。

 3)価値系と呼ぶ神経形の上行性投射で、脳の様々な場所へ広域に拡散している。

14.コンピューターと違い、脳にはどの脳にも個性がある。脳は分業しつつ統合している。コンピューターにはエラー修正コードがついているが、脳にはない。

15.個体はそれぞれ異なった環境のなかで異なった遺伝子的影響を受け、遺伝の及ばない異なった後成的な発生過程を経、異なった身体反応をし、異なった歴史をもつ。この結果、脳内の化学環境、構造、シナプス強度、時間的特性、記憶、価値系によって左右される動機づけパターンなど、いろいろなレベルで膨大な多様性が生じる。人によって意識の内容も、意識の流れも、スタイルも異なる。

16.高等動物の脳は変化に満ちた環境に対応してパターン化された反応を自立的につくりだす。一方、コンピューターは曖昧さのない、はっきりした指示や、入力信号があって、はじめて機能する。世界は明確なデータが刻まれたテープではない。

17.「意識のメカニズム」

 意識は脳の働きから生まれる。

 高等な脳の基本は知覚をカテゴリー化する能力。

 外界からの信号を分解し、それを意味をなすものとして再構築し、適応、行動へと繋げる能力。

18.記憶にとって、シナプス強度の変化は必要不可欠ではあるが、記憶とシナプス変化を等式で結ぶような単純な捉え方をすると間違う。記憶は連想(ベースには類似の出力を生む縮退回路が働いている)を反映したり、コンテクストによって大きく影響を受けたりするシステム特性として捉えるべきである。

 記憶はむしろ「ニューロン群が構築する多種多様な回路が融合した、いわゆる多次元ネットワークの中で縮退したり、連合したりして相互作用が行なわれることで生まれる特性。

19.記憶は価値系がもたらす神経入力の変化に大きく左右される。それは(1)視床による皮質地図(2)活動を時系列で繋げる役を担っている皮質下の器官(海馬、基底部、小脳)(3)広域に投射する価値系・・・・これら三つの構成単位の相互作用を必要とする。

20.意識が現れるために最終的に必要だった進化的出来事とは、視床であり、知覚カテゴリーを行なう皮質領域とシナプス強度を素早く連携させて価値カテゴリー記憶を担当する前方の皮質領域との間に強固な再入力供給が発達した結果で、これがより規模の大きい皮質系再入力ネットーワークを介して発達した。

21.このような進化の過程で、このメカニズムにさらなる再入力回路が付加され、それによって意味能力、言語能力、特定の高等霊長類に高次の意識が生まれる。未来を想像する力、過去を系統だてて想起する力、意識していることを意識する力を生み出す。

22.視床ー皮質系の内部で再入力によってダイナミックに変動しながら相互作用するこの機能クラスターをわれわれは「ダイナミック・コア」と呼ぶ。途方もない複雑な神経回路を瞬時のうちに動員するダイナミック・コアは意識のプロセスがもつ単一でありながら、次々と変化し推移するという特性にぴったりの神経系の組織化機構である。

 ダイナミック・コアはさまざまな視床核の活動と機能別に分かれた皮質部分とを結合的に結びつけることを可能とする構造をもっている。知覚カテゴリー化と価値カテゴリー記憶とを関係づけ、さらには概念と記憶の地図を結びつけている。

 意識には、だれであっても、背後に神経活動がある。

23.基底部の運動系回路は皮質を強めたり弱めたりすることで動き、調節する。

24.コアの特徴はその膨大な再入力性の信号伝達にある。それとは対照的に基底核の特徴は抑制性の長いループ。そのようなループ回路(タタシナプス)で基底核と視床ー皮質系とは豊かに相互作用を行なっている。ダイナミック・コアは「機能ファクター」として振る舞い、意識を生み出すための相互作用は主としてコア内部で行なわれている。

 とはいえ、皮脂ー基底核における相互作用を広げたり制限したりする能力は意識の内容を調整し、コア内の取引範囲に影響を及ぼしたり、注意の方法を変えたりする。

25.個々の神経回路やシナプス集団、環境からの信号、それまでの歴史、これらの活動がすべて拘わって、ある特定の意味に到達するが、そこにいたる経路は様々である。

26.脳はニューロン群から淘汰選択されながら想像を絶する豊かさ、複雑さでレパートリーを組み、そのようなレパートリーが縮退的に反応することで、個体差や個体の歴史に、さらには明確なルールなどない環境からの入り口に柔軟に処していく。

27.意識理論を具体的に進めるにあたって、必要な要件は知覚カテゴリー化と価値カテゴリー記憶がどのように組織されるかという原理を知らなければならない。TNGSによれば、知覚カテゴリー化は広域マッピングによって行なわれるが、それは様々な感覚に対応する地図に再入力的に結合することで、それら地図と運動とをコントロールする系とを非再入力的に結合することで機能している。

 記憶は非表象的であって、縮退的な回路が互いに作用しあう結果、当然ながら、その特徴として連想性を備えている。この取引を担うのはダイナミック・コアで、きわめて複雑だが、再入力結合がダイナミックに相互作用する結果、縮退性を備えたコアの「準安定状態」が一貫性のある出力を生み出し、ひいては高次元のクオリア空間において様々な感覚の組み合わせを識別する能力を生み出す。

 そのクオリアはその個体だけが感ずるわけで、そこに主観が存在する。知覚カテゴリー化も記憶系への入力の重要な供給源がその個体の身体から送られてくる信号であるから、身体からの入力信号は個体の発達における最初期の供給源であるだけでなく、一生を通じて止むことがない。

28.意識状態の特徴:

 全般的な特徴

 1)単一に統合され、脳によって構成される。

 2)膨大な多様性をもち、次々と変化する。

 3)時間軸に沿って順々に推移する。

 4)様々な感覚属性の結びつけを反映する。

 5)ゲシュタット現象、充填現象、閉合現象など構成的な性質を備えている。

 情報としての意識に関連した特長

 1)広範囲な内容に志向性を示す。

 2)連合性をもち、広範囲に感知できる。

 3)中心と辺縁がある。

 4)焦点的に集中した状態からゆるやかで拡散した状態まで、注意による調節を受ける。

 主観としての意識に関連した特長

 1)主観的感覚・クオリア・現象性・気分・快と不快を反映する。

 2)状況性(自分がどのような状況や位置にあるのか)に絶えず関与している。

 3)自分にとって慣れた状態か、そうでないかの感情のもとになる。

29.自分であること:

 意識の理論展開には主観性について検討しなければいけない。

 ここでいう主観性とは単にアイデンティティとか個性ではなく、当の個体にしか持てないユニークな意識の歴史性のこと。背後にある神経の営みから豊かな識別がもたらされ、それが当の個体の行動に影響をおよぼし、同時に主観的に質感として生起する。

 遺伝とか、進化的選択という本質からすれば、多細胞生物はすべてユニークな生物学的自己を備え、適応免疫系の備わった生物では、そういった生物学的自己は生きていくために不可欠。

30.身体から絶えず送られてくる体性感覚信号や運動感覚信号、それを考えれば、主観性というものは意識の土台である。意識をもつ個体の通常の生活からそれが消失することはあり得ない。

31.われわれの身体や脳や意識はなにも科学的に納得のいく世界を描くために進化したのではない。それらが描く情動や想像を無数に含んだ世界像、それは正確な三人称的記述には役に立たないかも知れない。だが、われわれの生存を支えてくれるのは、そのような世界を描いてうまくニッチ(生態度地位)に適応すること。人類はこのような世界像を描くことによってイメージ、感情、記憶、快や不快、信念、意図などが豊かに入り混じる。志向的状態も気分もごったに混合した産物であり、社会的に定義できる自己をもった個体どうしがまったく同じ脳状態を持っていることはあり得ない。(たとえ、一卵性双生児といえども)。

32.価値というものは、生命が存在しない宇宙にはその欠片もない。生命体の存在が価値を保証する。

33.われわれが意識のなかで感じているクオリアはじつに広範で、知覚、イメージ、記憶、感覚、情動、気分、思考、信念、願望、志向、動きのシナリオ、身体状態を知らせるふんだんな(漠然とはしているが)信号、などなどが含まれる。意識はまたダイナミック・コアの再入力によって統合され、再入力による「結びつけ」と「同期」によって、脳は構成的という性質をもつ。

 脳は構成的、不可逆的で、多様性に富み、創造的である。

 「脳」に関する書籍をかなり読み込んでいるつもりだが、未だに確たる知識に結びつかず、理解に達しない。身近にありながら、脳ほど科学的な分析を拒むものはないという点、生物の不在な宇宙よりも難物である。


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One Response to “脳は空より広いか/ジェラルド・M・エーデルマン著”

  1. withyuko より:

     私は、心理学専攻だったのですが、
    心理学も心という、測定できないものをなんとか
    数字に表して科学的に仮説を検証していこうと
    心理測定法や統計学なんていう科目も学びましたが、結局、脳や心って科学的に説明することって限界があるんじゃないでしょうか?
     個人差っていうのも、大きいです!
    hustlerさんのように難解な本を理解される脳と、
    私のように難しい漢字を見ただけで理解不能と
    なる脳では、性能が、、、、。

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