ボランティア活動 「スペインに不登校という問題はない」

バルセロナ

 留学生らがそれぞれ来日後に関心を惹かれたことに関して、みずから調べた内容を数値やグラフで示しつつ、解説するのを聞いてやり、疑問や疑義があれば、質問するという内容の活動だった。

 なかにスペインのバルセロナ近郊からやって来た青年がいた。仮に彼の名をガルシアとするが、ガルシアが来日後に最も驚いた日本における現象は不登校の問題であり、多くの不登校者が現に存在することだった。

 ガルシアのみならず、それぞれの留学生が関心を惹かれた問題には、いじめ、体罰などの問題もあり、それぞれ、ごく短期間に少数の友人にインタビューして聞きだしたくらいでは結論の出ないシリアスな問題で、私はガルシア以外の留学生に対しても、それぞれが得た数値をそのまま鵜呑みにして帰国後に友人や知人に語ると、日本も日本人も誤解されかねないので、帰国までにもっと多くの人にインタビューを重ねて、より正確な数値を得るよう要望した。

 とはいえ、ガルシアが「スペインには不登校という問題はないし、不登校者もいないので、日本人はいったいどうなっているのかと思ったし、不思議な気持ちにもなった」との言葉には即答できず、しばらく考えたうえ、「日本は60余年前に戦争をして、初めて敗戦を経験した。原爆二発をくい、都市は絨毯爆撃をくって、いたるところ焼け野原という状態に虚脱、それが精神的に大きなショックとなって日本人一般の心に居座り、もう戦争は二度とごめんだという気持ちになった。その後、経済的に目覚しい発展を遂げ、平和が続いたため、平和ボケ症候群に冒され、日本人は確たる目標を失ってしまった。

 「私の年代の人間には不登校などということをする者はいなかったが、子共が少なくなった今になって、そういう不思議な現象が起こっているのは、日本の若者が思考の座標軸を失っているからだと私は思っている」と答えた。

 平和を求めるあまり、人間が、とくに男が基本的にもつ闘争本能を軟化させ、K1やボクシングやサッカーや野球の試合のときに観戦することによって闘争心を慰めているというのが現今の日本人で、学校の運動会でかつてやっていた「棒倒し」や「騎馬戦」ですら、生徒が怪我をしたらとの学校側、PTAの不安を解消するために、軟弱な、面白味のない、女の遊びみたいなものに変貌している。怪我の一つや二つくらいでガタガタするような男は男じゃない。

 「一つの大きなショックが反動的に、別の方向を極端な形で志向させる」のをトラウマというが、日本人はまさにトラウマに冒され、(平和が好きだという精神を誹謗はしないが)、半世紀後、百年後に、このトラウマがどういう国を、そして人を創ることになるのか、極端から極端に走りやすい日本人の性質を配慮しつつ、冷静に世界の現状にマッチした姿勢を堅持しないと、ミスに気づいたときは遅すぎたということになりかねない。

 私にとってガルシアの言葉は正直ショッキングだった。何度も戦火に見舞われ、また戦勝と敗戦を繰り返してきたスペイン人の回復の強さに驚きつつ、「現代の日本人は、外国人から見たら、明らかに病んでいるのだ」と内心思った。病んでいる芽は不登校だけに限らず、いたるところに存在する。

 上の写真はバルセロナのカタルーニャ美術館から北の方向の風景。


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